机上のライトの下に、サイダー瓶の形をした薬指ほどの小さな瓶がある。入口が細くなっていて、下にいくほどずっしりとしたものだ。
その中には細かくて淡いピンクや白のビーズが入っている。ライトの光があたりキラキラしている一方で、ビーズとしての本来の役割を果たせず木栓はギュッと固く食い込んでいて、どこか愁いを含んでいる。
小さい頃、母親に買ってもらった大切なものだ。

私に買い与えてくれる両親の姿は、嬉しくもあり、少し切なくもあった

幼い頃の私は様々な物を与えてもらっていた。よくデパートへ行き、子ども用のブランドものを買ってもらったりもした。
ちなみによく買ってもらっていたのは「エンジェルブルー」。同世代ならエモさを感じる人もいるのではないだろうか。
私は「これが欲しい」と強い意志でお願いしていたわけではなく、「これいいじゃん!」と親が言ったものを頷きながら一緒に買い物していたような気がする。

そして嬉しい反面、遠慮の気持ちからか気が引ける思いでお会計の光景を眺めていた。私の家は決して裕福な家庭ではなく、両親はあまり自分の物を買うことなく必死にやりくりをしていた。
それを知っていたため、「これが欲しい!!」とは言えなかったのだろう。両親は私に不自由な思いをさせないようにとたくさんの物を与えてくれていたが、それが嬉しくもあり、少し切なかった。

だからだろうか。お金に対しては人一倍執着心が強い。自分のお金に余裕ができる社会人になるまでは、おこづかいやバイト代があっても欲しいものもたくさん我慢してきた。そして社会人になった今もなるべく貯金している。

その傍ら、給料が入ったらすぐに散財する友達がいる。推しに給料の全部を貢いだり、旅行に月に1回は必ず行ったり(コロナ前)と、とても楽しそうだ。羨ましささえも感じてしまう。
それなら自分もそのようにお金を使ってみたらいいのだが、何故かそれは出来ないのだ。一気にたくさん使うなんて恐れ多い。私は一人っ子のため、両親の老後のことも色々と心配だ。また、自分が高齢者になった時、年金なんて貰えないかもしれない。
今を楽しむ友達と、未来をよく過ごしたい私。

硬貨に問いかけた正しい使われ方。どんな光景を見てきたの?

「ねえ、今までの使われ方を全部教えて!」
どう使うのが正解なのか。その硬貨に向かって問いかけてみる。
「あなたは昭和52年からこの世にいるんでしょ?何人の人間のもとに行ったの?どのような人に巡り合ってきた?どのように使われてきたの?」
古い硬貨を見ると、その硬貨がどんな光景を見てきたのかが気になってしまう。同じ1枚の硬貨なのに全く異なる使われ方をして、全く異なる人生の方向を決めてきた奴だと思うと、その存在は不思議でたまらない。

使い方次第で様々な生き方になるお金。強くて大きい存在だが、不思議で独特で自由でほんのり哀愁が感じられる。まるで夕陽と同じような立ち位置だなと私は感じた。
そうなると、今を楽しむために使っている友達のお金は朝日のような立ち位置になるのだろうか。夕陽も朝日もどちらも立派で、そう考えると私のお金の使い方は悪くない気がする。ただ朝日の堂々しさは羨ましい。

目の前にある瓶と中にあるビーズは、私の振る舞いそのものみたい

机上のライトの下にある瓶。入口は細く、入るときも少しずつしか入らない。また出す時も少しずつしか出ない。だが奥底は広くずっしりと入る。まるで私のお財布事情のようだ。
両親が買ってくれたブランド物の小物や衣類、親戚がくれるその時々の私の情勢に合わせて値段を決めてくれたお年玉。どれも家族、親戚からの繋がりや愛を感じる。お年玉に関してはずっと大切に保管している。お金としてではなく家族や親戚との思い出として。
私はどうもお金だけではなく、家族にも依存しているようだ。少しだけほんの少しだけ木栓を緩めてみてもいいかもしれない。

瓶に入っている中身は、キラキラしている一方で本来の使われ方をせず、ずっと保管されているためか愁い影がある。
瓶が財布、そして私にとってのお金はその中身、目の前にあるビーズだ。
「大丈夫。木栓を緩めて傾けても入れ物の構造上、一気に出たりしない」
そう言い聞かせ、木栓を緩めた瓶を自分のためにそっと傾けてみる。それでもまだ貯まってくれているビーズは手作りネックレスにでもして家族にあげよう。 今までの感謝を込めて……。