高校時代は貯まる一方だったお金。ただアルバイトが好きだった
子どもの頃、本気で「お金より愛だ」的なドラマの台詞を信じていた。
そんなの当たり前じゃないかと思っていた。
大人になった今ならわかる。
それは本当。でもちょっと綺麗事。
だって愛には絶対お金が必要だから。
とは言え、毎回奢ってもらう年上の恋人との力関係には疲れた。
学生だった私と社会人だった彼。
「私もお金出すからお店選ばせて」
「俺のこと立ててくれよ」
主導権は常に自分が持ちたい人だった。
金銭面だけではなく、すべてにおいてなるべく対等でありたい私とは合わない人だった。
私は高校1年生の頃からアルバイトを始め、一番多い時で週5でアルバイトしていた。
10万近く稼いでいた月もある。
でもそれは物凄くお金が大好きで欲しかったわけでも、どうしても必要で必死に貯めていたからでもない。
ただバイトが楽しかったからだ。
実家住まいだったことや彼が奢ってくれる人だったこと、収集癖もなかったこと。
加えてお金も時間をどう使っていいのやらわからず、その頃は貯まる一方だった。
今思えば羨ましい悩みであり、贅沢な時期だった。
なりたい大人になるために、幸福な人生を送るためにお金は使うもの
そんな紆余曲折を経て社会人になった現在。
恋愛もして社会に出て自分という人間が分かるようになってきたら、お金の使い方もわかるようになってきた。
私のお金の使い方はとてもシンプルだ。
自分で稼いだお金を、使いたいものには使いたいだけ使う。
だからうちのお風呂場にはシャンプーとトリートメントのセットが7種類並んでいたりするし、クローゼットにはランジェリーが30枚あったりする。
デパコスに一度の買い物で4万使ったこともある。
たくさんプチプラの服を買うなら、一枚ずっとスタメンで使えるお気に入りの高級な服が欲しい。
海外旅行や好きな人とのランチやプレゼントにも惜しみなく使いたい。
自分で稼いだお金で自分が幸せを届けたいと願う人に贈り物をしたり、そういう人と予定を立てて好きに使う。
素敵な時間を買うのはプライスレスだ。
自分がなりたい素敵な大人になるために、幸福な人生を送るために、お金は使うものだ。
だってそのために働いている。
月にいくら貯めると決めて貯金したことはない。
お金なんて銀行に入れておいたって、紙切れどころかただの数字の羅列でしかない。
そう言うとひどくお金持ちか高給取り、または浪費癖が凄いと思われそうだが、そんなことはない。
自分の幸せに惜しみなくお金を注ぐために、納得する形で稼ぎたい
一方で吝嗇家でもある。
電気は極力つけない。
洗い物の水は流さず取っておいて、お皿をつけるときやシンクを洗う時に再利用。
暖房もお風呂の温度も一度上げるのは考えてから。
電車移動は速さや乗り換えの少なさより、安さを重視。
外出してペットボトルは買わない。
水筒必ず持参。
もちろんマイバッグもだ。
趣味の読書も図書館で読んで、もう一度読むものだけ購入するスタイルをバイトをする前から貫いている。
また、大人になると必要なものにどうしても出費が嵩む。
家賃、電気代、食費、保険、住民税、楽しくもない交際費、何かがあって働けなくなったときの貯蓄……。
でもなるべくそういったものは最小限にして、心ときめくものや自分が使って幸せだと思うことにお金は惜しみなく注ぎたい。
きっとこのスタンスはお金持ちになっても変わらない。
お金持ちになんて一生なれないかもしれないけれど。
なぜなら、知人に言うと「脳内がお花畑」だと大抵馬鹿にされるのだが、何億円という大金が何かの間違いで当たりでもして、残りの人生の運を全部そこで使ってしまうのが怖いから、私は宝くじが買えない。
そういう幸運はきちんと寄付ができたり、困っている人のためになんの躊躇いもなく多額の金額を使えるような、もっと清らかな精神の持ち主に当たったらいいと思っている。
それにお金はラッキーやずるではなく、きちんと自分が納得する形で稼ぎたい。
「おばあちゃん」という呼び方がしっくりくるぐらい未来の私に「わたしと『お金』」について問うてみたい。
できればお金持ちで、幸せいっぱいで、今と変わらない答えが返ってきたらいいなと思う。