エンタメを夢見ていた私の現職は介護士
私の将来の夢は、音楽やエンターテイメントに携わる仕事に就く事。
そんな私が現在、職にしているのは、日本の少子高齢化をもろに影響を受ける仕事、介護士。
皆さんも少し疑問に思った事でしょう。何故介護士なのかと。
遡ること、小学生の頃。私はアニメや漫画が大好きないじめられっ子ながらも、ポジティブ人間。当時の夢は漫画家かアニメーターだった。絵を描く事が好きで、何度か夏休みのポスター等で受賞した事があった。
中学生になると、様々な学区から集まってくる同級生に「声、変だね」なんて嬉しいような、なんだかどう受け取ればいいのか解らない言葉をもらった。
中学に上がればいじめられる事もなくなり、なんならポジティブ人間・アニメ漫画好きが講じて友人は100迄とはいかないが沢山できた。その友人達と関係を持つ中で、先程と同じように声に触れてくる友人はやはり多く、この声を活かせるにはと考えた結果、『声優』という職業を見つけた。
これなら自分の変な声を活かせるのでは、と安直な考えで専門学校のパンフレットを取り寄せ、どうにか親を説得した。
結果は惨敗であった。
「一般の高校を卒業してから行きなさい」
親から言われた言葉は今思えば納得だ。
家庭環境のために夢を目指すことが難しくなった
私の家は祖母、4つ上の姉、母親、そして私の4人家族。見て分かる通り母子家庭だ。
私が4歳の時に父親のDV、浮気が原因で離婚調停済みだった。そして母親はバツ2、お察しだと思うが私と姉の父親は違う。複雑な家庭だった。
旅館の仲居として働いていた母親では、専門学校の巨額な学費を払うのは、難しかったと納得出来る。その上、母親の言葉は後々別の意味で理解する事となる。
中学卒業する頃、母親は自営業で波に乗っており、旅館の寮から5LDKの一軒家へ、母親の自動車は中古の軽自動車から高級車へとなる程に裕福になっていた。そんな私も母親の言葉通り、市内の私立へ高校が決まっており、順風満帆な高校生活を期待していたのだ。
高校に上がった私は、今まで手を着けていなかった勉学に励もうと努力した結果、学年中10位以内には入れる学力を手に入れたが、「部活しないならバイトしなさい」と再度母親からの言葉をもらった。
いやそれだけは絶対に嫌だ、こんなに早くから働いてたまるか。青春を謳歌するんだ。そう胸に誓っていた私は『箏曲部』へ入部。全国大会への出場経験もある部で、あまりお褒めの言葉を母親から貰ってこなかった私は、ここで全国出場して母親にぎゃふんと言わせてやろうと再度胸に誓いをたてた。
この時から私の夢は『声優』から『音楽やエンターテインメントに携わりたい』へと変化し、母親に土下座までし自分の箏を買ってもらい、県内におられる師匠の先生への弟子入りもした。名古屋の音楽大学へ入ろうとも必死だった。
今でも当時はとても輝いていたと思い出す。
結果、全国大会へ出場することは出来ず、県内2位で終わってしまった。2年生になり大会へ再度出場する事も、卒業後音楽大学へ進学する事もなかった。
何故なら私の母親がお縄になってしまったからだ。
一家には衝撃が走った。思い出したくない今でも鮮明に思い出す事ができる。
以降は就職へシフト変更し、奨学金を借り勉学とバイトに励む日々になった。
当時私がいた学科は福祉の学科だった為、必然的に介護士になっている。というのが入りで皆さんが抱いた疑問の解答だ。
ジャングルジムのように様々なターニングポイントで夢を変換する
なんだそれだけかとお思いだろう。そう、これだけ。
夢を叶える事なく、今の職で安定してしまっている。勿論、安易に手に職を持ちたいが為、安定という文字に捉われたが為のものであり、自分で調べる事もせず世間知らずが生んだ自業自得であると自分でも解っている。
だからこそ、今の現状に意味をつけるとしたら、仕事は夢を叶える延長線である、ということだ。
夢は叶えるものだと思っている方も多いとは思うが、本当にそうだろうか。叶える事が全てではないと考えている私からしてみれば、夢はただの道であり終着点ではないと声を大にして言いたい。
現代の子供には、目標がない夢がないと言われているが、本当にそうだろうか。テストで100点をとるという目標を目標ではなく夢と呼んだ場合、勉強に励む過程で新しい夢が出てくる。そしてその夢へ向かって努力をする。
私のあらましを読んで頂いたのなら、自分の歩みと共に夢が変わっているのをお気づきだろう。勿論、小さい夢も記していないが多数あった。
夢を叶える延長線上にまた夢が出来ていく、叶えるか叶えないかは自分自身だ。
だからこそ、少しずつ夢を叶えた先に何があるかを模索しながら、私は生きていく。