「お願いがあるんですけど」
「ちょっと頼みたいことがあって」
「もし嫌じゃなかったら」
LINEの画面を見ながら、こんな言葉を書いては消す。「送信」のボタンは、まだ押せない。毎回助けてもらっているのに、自分から頼ることはどうしてこんなに難しいんだろう。
たった一つの頼みごとに、こんなに時間がかかってしまうなんて。
結果だけを求める人たちに慣れていた私は、先輩の温かさに驚いた
私と先輩が出会ったのは、高校に入学して間もない春だった。中学時代からずっとやりたかった、憧れの部活。体験入部で私たち新入生にルールを教えてくれたのが、一つ上の代で副部長をしていた先輩だった。
言葉遣いが荒っぽくて少し怖かったけど、いつもまっすぐな目をして語る言葉からは誠実さが伝わってきた。
最初は鳴かず飛ばずだった私が少しずつ大会で結果を残せるようになると、先輩は私以上に騒ぎ、全力で喜んでくれた。負けてしまった時でも、「お前は強い、俺は知ってる」と言われると不思議と安心してしまう。
勝っても負けても見守ってくれている、という安心感が、私を次のチャレンジへと押し出してくれた。
「変わり者」「空気が読めない」と言われる先輩だったが、私にとっては尊敬する“師匠”のような人だった。ちょっと暑苦しい、と思っていた「いいぞー!」の声援も、勝った時の全力ハイタッチ(最初はびっくりした)も、いつの間にかないと寂しいものになっていた。
なれ合わないけど味方でいてくれるし、厳しくしても突き放すわけじゃない。
何をしても満足しない両親、そして結果だけを求める人々に慣れていた私にとって、先輩のやり方は新鮮で温かなものだった。強く諭されたこともあれば、何時間も話を聞いてもらったこともある。どちらも今の私にとっては大切な記憶だ。
初出場の全国大会。補強制度で先輩を呼び、満を持して出場のはずが
冬が過ぎ春が来て、私は二年生になった。いつの間にか同期の誰よりも強くなっていて、部長に指名された。残り少ない先輩との時間を惜しみつつ、初めてできた後輩たちの指導に当たった。私がしてもらったみたいに上手くはできなかったけど。
正式に部長になったものの、同期との溝は深かった。誰も仕事をしてくれなくなっていたし、私がミスをすると嘲笑うようになっていた。
何をしてしまったんだろう。さんざん悩んだけど、受け継いだものを守りたくて後輩と活動に励んだ。
受験生になって交流は減ったけど、先輩は先輩のままだった。
「もうお前にアドバイスできることはないかもなぁ」
そう笑いながら、強くなったことをただ喜んでくれた。
「今年はお前の年だ、同期のことも後輩のことも気にしなくていい。お前がやりたいことをやれ」
そう言ってもらえなければ、辛くて部活をやめていたと思う。
そうこうしているうちに来てしまった全国大会。幸運にも地方予選に勝ち、初出場を果たすことになった。
「補強制度では、予選に参加していないメンバーをチームに加入させることができます」
案内に目が留まる。全国大会は三月だ。先輩を、呼べる。LINEで知らせると、出場を快諾してくれた。
いざ満を持して出場の準備を……していたはずだった。
やっと伝えられた言葉。ただ不安というだけで助けてくれた先輩に感謝
全国大会一週間前。あんなに有頂天になっていたのに、大会が怖くてたまらない。残り少ない競技生活、失敗が怖いから?同期にまた笑われたくないから?……違う。本当はずっと一人で不安だったのが、頼れる相手がいると分かって溢れ出しているんだ。どうしよう。助けてほしい。
「一つお願いがあるんですけど」
やっと言えた。
「何?」とすぐに返ってくる。
「大会の間、私の隣にいてもらえませんか」
こんなことを頼むなんて変な後輩だろうな。ドン引きされたらどうしよう。
「緊張してて」と言い訳がましく付け加えた。
心臓が早鐘を打つこと数秒間。「いいよ」。
思わず叫びそうになっていると、続けてメッセージが来た。
「エースを勝たせられない環境じゃ、しょうがないからな」
ああ、私は頼れたんだ。先輩は、私がエースとしてやって来たことを知っているんだ。感情が溢れそうなのをこらえ、「ありがとうございます」と返した。
「そりゃ」の一言も温かくて、怖さはいつの間にか溶けていた。戦える気がする。先輩となら。
あれからもう三年。全国大会で優勝は出来なかったが、胸を張れる成績を残すことができた。あの頃夢中だった競技はやめてしまったけど、結構楽しくやっている。
そして……あの時にただ不安だ、というだけで助けてくれる先輩がいたからこそ、今も人を頼ることができる。