バレンタインデビュー作は、小学生の頃に「だいすきなパパへ」とチョコペンで描いたホットケーキだった。

ちょっと押すだけではなかなかチョコソースが出てこないのに、強く握りしめた瞬間、ペン先から一気に溢れだしてくる曲者。
たった八文字を何度も失敗しては「もうやだ止める」と泣いて駄々をこねた。
その度に母はバターナイフで綺麗にチョコソースをこそげとり、とれないほどなら焼き足して、「ほら元通り」とニコニコ笑顔で修正済ホットケーキを用意してくれた。

私の超大作が完成。生まれて初めてだれかの為に頑張った

すっかりホットケーキが冷えきって、フライパンに残っていた焼け屑もかぴかぴに乾燥してきた頃、やっと私の超大作は完成した。
「だいすきなパパへ」の下には、ブルーベリーのつぶらな瞳と苺の真っ赤な鼻とバナナの大きなにっこりお口。

うん、パパに似ている。
絶対に喜んでくれる。
早く見せたいな。
早くお仕事から帰ってこないかな。

生まれて初めて、自分以外の人の為に頑張った。
いつも通信簿に「落ち着きがなく集中力が続かないようですね」と書かれている自分が、こんなにもひとつのことに集中できるなんて、知らなかった。
自分が食べたいから、自分が欲しいから、自分を満たしたいから頑張る時とは全く異なる、相手の笑顔を想像しながら頑張ることで湧きでてくるパワーと喜びを、生まれて初めて体感した瞬間だった。

母と二人で洗い物を片付けながら、父の帰りを今か今かと待ち続けていると、車のエンジン音が聞こえてきた。
母と顔を見合わせ、笑顔で玄関に駆け出す。

ボロボロと泣いて喜ぶ父の姿に、私までものすごく嬉しい気持ち

「バレンタイン作ったよー!」
夕飯後のサプライズじゃなかったの?と苦笑いする母を背に、私はジャンプしながら父に絡みついて台所へ誘導した。
調理台に鎮座するホットケーキを見た瞬間、父はぼろぼろと泣き出した。スーツのポケットからハンカチを引き抜き一気に鼻をかみ、母に案の定、「ティッシュにしてよ」と怒られていた。
それでも父は笑顔でまっすぐ私を見つめて「ありがとう。ありがとう」と頭を何度も撫でて抱きしめてくれた。
「パパの為に頑張ってくれて、ありがとう」
自分以外の人の為に頑張って感謝されるって、こんなにも嬉しいことなのか。
なんだか照れ臭くて、くすぐったくて、戸惑いながら喜びをひしひしと噛みしめた。

その一ヶ月後、ホワイトデーに父は私をショッピングモールに連れていってくれた。バレンタインのお返しだから、何でも好きなものを買っていいよと言ってくれたが、特に何も欲しいものがなくて、でも何か決めようと悩み、結局本屋でドリルを買ってもらった。
それはそれで嬉しかったけれど、私にとってはバレンタインデーのほうが何倍も嬉しかった。

私にでも、集中して頑張ることができた。
頑張ったら、喜んでもらえた。
喜んでもらったら、私までものすごく嬉しい気持ちになった。
今まで「もらう喜び」しか知らなかった私は、「与える喜び」をバレンタインで学んだ。

父の手帳から出てきたあの日の写真から気づいた、肝心なこと

中学生になってからのバレンタインデーは、同じクラスの女子達と友チョコを交換するイベントになり、社会人になってからは会社の慣習に従いデパ地下でウイスキーボンボンを大量購入し、無表情で男性職員に配布するイベントになっていた。

バレンタインデーを無表情で過ごし始めて数年後、久しぶりに実家で連休を過ごしていた時にふと父の手帳が目についた。書斎の上に無造作に置かれた手帳は少し開いていて、中に挟まっている写真が少しだけはみ出している。

何の写真だろう。
まだしばらくトイレに籠っていそうな父に心の中でちょっと謝り、爪先で写真をそっと引き出す。

あのホットケーキの写真だった。
真っ赤な目でくしゃくしゃに笑う父と、何故かバナナを頭に乗せて嬉しそうにおどける幼い私。
母が撮ってくれていたのか。
あの日の台所の寒さも、チョコペンの恨めしさも、強烈な達成感も、嬉しくて恥ずかしくて体がむずむずした感覚も、一気によみがえった。
すっかり忘れていたのに、たった一枚の写真でこんなにも鮮明に思い出すことになるとは。

しばらく写真を眺めていると、ふと肝心なことに気づいてしまった。
全部、母のおかげだ。

バレンタインデーというイベントに興味を持った幼い私がやりきれそうな難易度としてホットケーキと果物を用意して、何度愚図ってもフォローし続け最後の完成までご機嫌なまま導いてくれて、私に集中力と達成感とに「与える喜び」を教えて、写真という形に残して父の宝物になり、20年の時を経て私に幸せな思い出をよみがえらせてくれた。

愛情を表すバレンタインで、私は母からの深い愛に気付かされた

好きな人への愛情を表すバレンタインというイベントで、私は母からの深い愛に気付かされた。
私は母のような愛を注げる人になれるだろうか。

もうすぐ二歳になる娘は、最近なんでも一人でやりたがる。ごはんも着替えも歯磨きも、まだうまくできないのに私が手伝おうとすると火がついたように泣き叫んで暴れる。
気の済むまで好きなようにやらせてあげたい気持ちと、限られた時間で日常を回し続けなければならない焦りで、「勘弁してよ。こっちが泣きたい気分だよ」と呟いてしまう回数は数え切れないほどだ。

それでも、ふと母はこんな時も、ニコニコ笑顔で最後まで導いてくれたなと思いだすと、自然と気持ちが落ち着いて、ズボンの片方に足を二本入れて人魚姫のようにビチビチと暴れる娘を優しく抱きしめることが出来る。

今年のバレンタインは、この活きのいい人魚姫とホットケーキを焼こう。
大丈夫、最後までママがついているからね。