お金はただの「紙切れ」と言ってしまえばそれまでだが、私にとっての「お金」には三つの大切な側面がある。
それはある意味、姿を変えて大切なものを教えてくれる、「アラジン」の作中に出てくるジーニーというキャラクターのような存在である。

商品を買った後、その先の夢を見せてくれるのがお金

一つ目は、「お金とは、夢を見せてくれるもの」である。
百貨店で化粧を施してもらったり試着室で試着をしたりするとき、なんとなく新しい自分に出会える気持ちがして胸が高まる。
そういう思いで購入した商品は、確かに化粧品・洋服という「物」を購入しているのだが、それを購入することでその先得られる、購入品を身につけて出かけたり、自身が少しでも変われたり……という少し先の未来を想像する「楽しい時間」や「幸せな気持ち」を買っていると言っても過言ではないと私は思っている。

私は、あらいきよこさんの「エンジェルリップ」という少女漫画が大好きな少女だった。
「カメラ恐怖症の少女がとあるリップをつけると自信がわいて、カメラの前でも堂々とふるまえるようになる」という筋書きが肝になる作品である。
私にとってもお化粧は同じような効力がある。唇はひとつしかないのに沢山の口紅を購入して、部屋に飾っている。季節、その日の気候や洋服・相手によって口紅を変える。今日はどの色味の、どのような質感のものにするのか考える時間は至福だ。
目の前の商品それ自体を購入することで、「どんな自分になれるのか」「どこへ導かれるのか」という夢を与えてくれる。

思い出の時間をつくり、使い方に人の思想が出るのがお金

二つ目は、「お金とは、記憶宝箱を作るもの」である。
友人と何時間もカフェで語り合ったり、家族と旅行したりするための手段がお金だ。
今ではコロナ禍でできなくなってしまったが、時間を忘れて友人と何件も飲食店を梯子して何時間も膝を突き合わせて語り合った記憶は、何年経っても色褪せることはない。約束した期日がせまると、友人とお互いに気になる飲食店のリンクを送りあってLINEのトーク画面を埋め尽くし、時間をかけてお店を選定することが多かった。
にもかかわらず、何を飲んで何を食べたかよりも話の中身に味がしてしまうこともあるくらいだ。そういった大切な人たちと過ごした日々を記憶宝箱として蓄積していくための手段がお金だと思う。

最後に三つ目は、「お金とは、人の思想を表すもの」である。
どう使うかに人間性が現れ、同時にその人が何に重きを置いているのかがわかると思っている。
何にお金をかけて何をもったいないと感じるかは人それぞれだ。正解・不正解があるわけでもない。だからこそ、個人の考えがにじみやすいところでもあると感じる。
「自分にかけるか・人にかけるか」「有形物(化粧品・洋服等)に使うか・無形物(経験・株式等)に使うか」「何を高いと感じて何を安いと感じるか」等々……捉え方は十人十色で、どれもその人を示す大事な表現力の一つだ。

お金の捉え方は千差万別。何を大事にするか、それを引き出すのがお金

女性は特に、結婚・妊娠・育児・介護……と人生のライフステージを経ていくにつれて、同じライフステージでないと付き合いづらくなるという悩みが発生することもある。新たに家族を持つことで、お金の分配や価値基準が変わるのは仕方がないし、決して悪いことではない。
一方、ライフステージが変わっても思想が似ている場合には関係が続くことが多いし、それは喜ばしいことだとも思っている。
何を重視し、何を守りたいかはその人そのものを表す大事な指針だ。それを引き出す一手がお金だという捉え方も私はあると思う。大事なものは何かを問い、考える機会にもなるだろう。

私は祖母と同居しており、祖母が一時期よく「お金は天下の回り物」という言葉を口にしていた。
幼かったころは特に「お金が回る」という言葉の意味が釈然とせず、その言葉の由来を遡ると、昔は今よりも貧富の格差があったので平民を鼓舞させるために広めた言葉だったと記載されていた。

現代、お金の在り方は人々の中でどう変わっているのか。昔よりも現代は様々な局面で選択肢が増えているため、比例してお金の捉え方・使い方も千差万別になっている。
魔法のランプをこすれば、魔法使いのジーニーが三つの願いを叶えてくれたように、お財布をこすることでお金が願いをなんでも叶えてくれるわけではない。お金は有限であり、自分の頭で考える必要がある。
お金は無限の可能性を秘めている一方で、生かすも殺すも遣い手次第だ。力は、はじめから使う側の人間に宿っている。アラジンだって最後の一つの願いで考えた。
お金を使うことで心が貧しくなるのではなく、お金を使うことで日々が豊かになる使い方ができる魔法使いになりたいと、私は切に願う。