「私、風俗嬢になる!」
フウゾクジョウ。
私が高校中退を打診した時どうやって暮らしていくのかと訊かれ、咄嗟にその言葉が出た。
父は怒った。母は泣いた。何もかも最悪だった。
そんな時、寄り添ってくれたのは当時の担任の女性教師だった。

その女性教師は私が退学する趣旨を伝えた時、一瞬驚き、その後こう言った。
「退学ってね、紙切れ1枚で簡単に出来ちゃうの。その前に私に、今の四月一日(わたぬき)さんのこと聞かせて欲しいな」
私はさっさと退学させてくれ、限界なんだと苛立ちながらも了承した。
その日から2ヶ月ほど、毎日私たちは放課後、空き教室で机を合わせ会話をすることになる。

誰も私のことを分かってくれない。ここにい続けたら死んでしまう

1日目。
先生は、「四月一日さんはどうして退学したいの?」と私に問う。私は至って冷静に、
「もう限界なんです。ここにい続けたら死んでしまう。死ぬより辞めた方がマシだと思ったからです」
と答えた。そうすると先生が、
「死んでしまうと言ったね。辛いことがあるの」
と私に問う。私はだんだん苛立ちながら、
「みんな私を腫れ物を扱うように接してくるところが耐えられないんです。友達は一人もいないし。授業なんて頭に入らない。もうこんな日々続けられません」
先生は続けて、
「それは四月一日さんがみんなと馴染もうとする努力をしてないからじゃないの?」
カチンときて、
「さっさと退学届け、寄越してください!」
そう叫んだ。先生は目をつぶったあとゆっくり開いて、
「今日はおしまいにしましょうか」
と言う。
私はこの人も私が悪い、私が出来損ないだから落ちこぼれだからダメなんだと思ってるんだと思って、少しでも私をわかってもらえるかもと期待した自分を嘲笑った。

誰も私のこと分かっちゃくれないんだ。
死んだ方がマシだという気持ちが膨れ上がっては破裂寸前で、電車を見る度にあれは自殺の道具だと思うようになった。

先生が何を言い出しても、絶対に退学届けを貰って生き残るんだ

2日目。
「四月一日さんの辛い気持ちや死にたい気持ちを一つ一つ紐解いていこうと思うの」
何を流暢なことを。私は1日目で完全に心を閉ざしてしまって、先生が何を言い出しても絶対に退学届けを貰って生き残るんだと息巻いていた。
「退学者をだしたら学校の評判に関わるのは分かります。しかし、死ぬことまで考えてる生徒に向かって地獄を続けろというのは酷じゃないですか」
一分一秒でも学校にいたくなかった。それでも先生は、
「学校の評判とかそういうことじゃないの。四月一日さんがこれから生きていくために退学は正しいことなのか精査するのは悪いことじゃないんじゃない?」
そう余裕ありげに言った。
幸せな人はいいなと思った。
余裕があってゆとりがあって死にたいなんて考えないんだろうな。

「先生は自殺を考えたことはありますか」
私は意地悪く問うた。
「あるよ。母が亡くなったとき、一緒に死んでしまいたくなるほど悲しかった。それでも生きて教師をやってる。四月一日さんは夢はある?」

ユメ。
今を必死に生きてる私にとって1年先も見えなかった。ましてやりたいことなど分からなかった。
「ありません」
ぶっきらぼうにそう言うと、
「じゃあこれからこの時間は四月一日さんのやりたいことを探す時間にしましょう。その道の途中に高校卒業があるかもしれない」
そう言って今日は終わった。
それからの日々は、私の好きなことや嫌いなこと、得意なことや苦手なことなどたくさんの質問に一つ一つ答えていった。

先生はその先を見ていた。私の人生の心配をしてるんだと分かった

1ヶ月。
「四月一日さんは物語が好きで、それを考えることも好きなんだね」
私は素直に、
「はい」
そう答えた。
「大学にはね、物語の書き方を教えてくれる場所もあるの。そういう大学に興味はない?」
興味がないかといえば嘘になった。それでも今の辛い日々から抜け出すことと天秤にかけて、どっちが大切かなんて分からなかった。
「興味はありますが、今の私の学力で届くと思えないし、今が辛いことに変わりはないです」

私はわかったつもりでいた。高校とは社会的に出といた方がいいものぐらいに。
しかし、先生はその先を見ていた。この人は私の人生の心配をしてるんだと分かった。

そこからは英語教師である先生と1対1で英語の勉強が始まった。私は直ぐ興味がないことを忘れてしまうタチだが、根気強く先生は英語を教えてくれた。私は英語のテストで90点代をとった。

2ヶ月。
「どう?頑張れば結果は出るでしょう。この高校時代はずっと冷たい青春が続くかもしれない。でもその先の未来は暖かい春が待ってると信じてる。学校、続けてみない?」
私を取り巻く環境は依然変わっていない。しかし、私の中の考え方が変わった。
今はしんどくて辛いかもしれない。しかし、その先の未来を明るくするためには高校卒業は必須に思えた。

「私、高校卒業に向けて頑張りたいです」
私に迷いはなかった。書いてくことを諦めたくなかったからだ。
言った途端、先生は目に涙を溜めはじめた。
ギョッとしていると、先生は「子供がいたらこんな感じなのかなぁ」と言った。
私にも胸に込み上げるものがあった。頑張ろう、そう思った矢先だった。

先生が亡くなった。一緒に頑張ってくれる先生はもうこの世界にいない

先生が亡くなった。事故死だった。
様々な憶測が教室を飛び交った。私は分からなくなった。一緒に頑張ってくれる先生は、もうこの世界のどこにもいない。
なんで。なんでなんでなんで。
何処にもぶつけられない怒りを抱えたまま、私は戦うように登校した。

卒業式。
私のアルバムに書き込みをしてくれる人はいなかった。しかし、私は戦いきった。
その後、私は大学に行って演劇に出会うことになる。そして、演出として本公演を打つ頃には周りには沢山の私を信じてくれる人がいて、先生が言ってた暖かな春が訪れた。本当にあったんだ春は。

先生は思い出の宝石になってしまった。
それでも先生が私の人生を大きく変えたことは違いない。
大嫌いだった先生。
今となっては会いたいよ。
大好きです先生。