私が内定を得たのは、大学4年の6月頃だ。決して早いわけでも遅いわけでもなかったが、自分が行きたいと思った不動産会社から、ようやく得ることの出来た内定だった。

不動産の営業。まさに私の希望通りだった。
ノルマや目標があるのだろう。残業だって半端じゃない。色々な人との繋がりがあるからコミュニケーション力を求められる。人間関係の悩みだって出てくるかもしれない。
でも、それでもいい。自分の頑張りに対して、インセンティブが付くんだから。地域や物件、大家さんなど全部網羅してみせる。若い今なら何でも出来る、逆に今しかできない。
そう思った私は、内定後のインターンには率先して参加し、免許の取得や車の練習、資格の勉強等、社会人に向けて走り出した。

ついに配属発表の日、私の配属先は本社に。そこにお店はない

4月。授業もなく、インターンばかりしていたらあっという間に卒業し、晴れて社会人となった。1ヶ月という短い期間だが研修が始まり、様々な店舗で不動産についての知識を学ぶ。お客様応対の実践練習もした。全てが新鮮で、覚えることは沢山あるが俄然やる気が出た。
5月。配属発表の日がきた。地域に特化した不動産だから、店舗の数は多くはない。どこに配属されても家からの距離は大して変わらなかった。
けれど、研修中に行った店舗のあそこがいい、ここがいいという話は同期とよくしていた。どこになるのか思いにふけていた中、私の配属先が発表された。

本社だった。本社。本店ではなく、本社。そこにお店はない。管理部署であり事務の仕事があるだけ。気持ちの整理がつかず、その場から消えたかった。
どうして?なんで?と聞く前に責任者は答えた。もう少し不動産について学んで欲しいからと。
私は納得できなかった。他の同期は全員店舗に配属なのに?店舗で実践的に経験を積む方が不動産について学べるのでは?怒りと悲しさが混じりどうしようもなかった。
帰り道、河川敷に座って泣いてしまった。こうなると分かっていたら、違う不動産を選択していたのに。両親は、人生の先輩だ。そういうこともある、頑張りな、の一言だった。甘える訳ではないが、押し潰れそうだった。

店舗に配属だったなら注意されても頑張れた。どんな苦も耐えられたのに

翌日から本社配属。行きたくなくても行かなきゃいけない。私は昔から真面目で、こういう時だろうとどうしてもサボることが出来なかった。嫌なら行かなきゃいいのにと思うかもしれない。それが出来ない性格だった。
急に熱が出ないか、足が折れないか何度も思ったけど、9時には出勤してしまう。

無心で仕事をしようにも覚えなければいけないことが多かった。ミスも多かった。怒られるまではいかないが注意はされる。でも私は、私のやりたいことじゃないのに、どうして注意されなきゃいけないの?そんなに言うなら、自分でやればいいのに。そう思った。
心が荒んで廃れて汚くなっていくのが自分でもわかってすごく嫌だった。でも思わずにはいられなかった。

私が、店舗に配属されていたら今以上のことを注意されたかもしれない。それでも、店舗なら頑張れた。自分の営業力に応じて収入が得られるのだから。お金が全てではないけれど、生きるための大半は占める。それは一人暮らしをして尚のこと感じる。若い今なら、どんな苦も頑張れたのに。そう何度も思ってしまった。

「最初に入社する会社は学校」。父の言葉を思い出し踏ん張っている

2月。望んでない配属が決まってから半年以上が経過した。
少なくとも3年は働け。就活の時、よく聞く言葉だった。3年働かなくても見えてくるものはある。
例えば私の配属先。責任者はあの日、もう少し不動産について学んで欲しいからと言っていたが、実際は違う。私が入社したタイミングに、本社から辞める人がいたからだった。欠員を穴埋めするために配属されたんだと気付いた時は、あまりに冷静だった。

私の店舗に異動したいという気持ちは、いつの間にかどこかに消えてしまっていた。
それは、今の部署が気に入っているからという訳ではない。繁忙期ということもあってか仕事をどんどん振られ、毎日爆発している。それでも踏ん張っている。こんな時思い出すのは父が言った言葉だ。

「社会人になって最初に入社する会社は、学校だ。働くということを実践で学ぶ学校だから。仕事や会社ではなく学校だと思えばいい。いっぱい学んでこい」

この言葉は、いつも私の気持ちを楽にさせてくれる。
社会に出て、自分にのしかかる責任や決断、行動に悩まされ苦しんでいた。でも学校だから、学んでる最中だからと考え方を変えるだけで、大きく気持ちが楽になる。
学校なら何年も経験してきたからだろうか。社会という大きな世界に踏み出したのはつい最近なんだと考えることが出来る。

同じ気持ちの人や、私よりもっと傷ついている人もいるだろう。それでも私はこの言葉に出会えただけで、社会の違う見方を知ることが出来た。
これからの未来のことはまだ何も分からない。踏みとどまるにせよ、踏み出すにせよ、私は今の学校で生きる術を学んでからにしようと思う。