手土産という口実のチョコを手に、彼の家に向かった

彼の家に初めて泊まることになった。
私は営業の仕事を早めに切り上げ、数駅先のショッピングモールに向かった。
このショッピングモール、昨年の夏に彼と来たなあ、なんて思いながら。
地下一階に降りると、バレンタインフェアが催されていた。
数あるチョコレートの中から、私は王道とも言えるであろう、ハート柄のあしらわれた箱を手に取った。
家族以外の男性にチョコレートを渡すのはこれが初めてだった。
バレンタインだから、という理由でチョコレートを渡すのはなんだか恥ずかしい。
私は手土産という口実にしよう、と誰に聞かれたわけでもないのに自分に言い聞かせた。

チョコレートを鞄に隠し持ち、彼の待つ駅に向かった。
駅に着き、「今日は直帰します!」と上司に電話をかけた。「たゆりさんが帰ってくるの会社で待ってたんだけどなあ」と言われてしまった。だけどごめんなさい、今日はどうしても帰らねばならないのです。いつも頑張っているので今日だけはお許しを。
電話を終え、振り返ると彼の笑顔があった。
2ヶ月ぶりに見る、そのくしゃっとした笑顔に、心臓が鳴った。

チョコを渡し、ご飯と映画。そしてハグをして眠った

「久しぶり」
「久しぶり」
たどたどしい挨拶を済ませ、川沿いを縦に並んで歩いた。踏切の光に照らされた雪と彼の後ろ姿がやけに眩しく、儚いものに感じられた。

彼の家に着くと、緊張が解けた。2ヶ月の間に起こった、お互いの近況を共有した。彼が8割話し、私が2割話す。この配分は今日も変わらない。意識をしていたわけではないが、私たちの間ではこれが常識だった。
そろそろかなと思い鞄から例の箱を取り、彼に差し出した。
「え!もしかしてバレンタイン!?」と子犬のような笑顔で見つめられた。
その態度にあれこれと口実を考えた自分が馬鹿らしくなった。彼のそういうところが大好きだった。
その後、彼の作ったご飯を食べ、映画を観て笑い合い、少し大きめのスウェットに腕を通した。

「俺、お姫様抱っこをしてみたいんだよね」
突然そんなことを言い出し、私を抱えた。
決して筋肉質ではない彼の細い腕の中にすっぽりと埋まる私の体。こんなに力があったとは、知らなかった。
ベッドに横になり、お互いの体を密着させて眠りについた。頭を撫でると喜ぶ彼は子猫のようだった。
こんなにくっついても、どんなに際どい話をしても、ハグ以上のことはしなかった。私はそんな彼が大好きだった。

最後の一日だけの恋人ごっこ。笑顔で付き合ってくれた彼にありがとう

朝になり、まだ雪の残る川沿いを横並びで歩いた。久々に繋ぐ手は冷たかった。このままおばあちゃんとおじいちゃんになり、暖め合いたいと強く願った。
ところがその願いは儚く散った。どうやら幸せな時間はあっという間に過ぎ去っていくものらしい。

「それじゃ、今までありがとう」
「こちらこそ。楽しかったよ」

別れる時の約束、「最後に1日だけ恋人ごっこ」を数ヶ月越しに果たした私たち。
本当に恋人だった時より恋人らしいことをした私たち。
私のわがままに最後まで笑顔で付き合ってくれた彼が今でも大好きだ。ありがとう。もう会うことのできないあなたへ。