「先生は磁石だね!」
周りの人が聞いても、この言葉がそれほどすごい価値があるものには思えないだろう。しかし、私にとっては「大好き」や「尊敬している」よりも、ずっとステキで尊いものだった。
同年代よりも大人との距離が近かった私。教員として社会に出ると
幼いときは友だちが多かった。人の良い面しか知らず平和な日々を送っていた。
しかし、年齢を重ねていくと、人の裏側も見えてきて、人と関わることを少しずつ避けるようになってしまった。
自分と同じ年代との距離感は特に苦手だった。話を合わせようと気を遣うことも多く、面白くもないのにニコニコ笑ったり、相槌を打ったりと気疲れすることが多かった。
そのため、学生の頃は先生や大人とのやりとりの方が好きだった。一生懸命な姿を見せたら褒めてくれた。自分の知らない経験を積んでいる大人の話は新鮮で面白かった。丁寧な言葉を使わなければならない場面はあっても、多めに見てくれることもあり、自分の素の姿でいられた。
同年代の人たちよりも、大人との距離が近かった私は大人からの評判が良かった。認められることも多く優越感に浸れることもあった。
しかし、自分が社会人になったとき、人の怖さを痛感した。
大学を卒業後、小学校で理科の専科として勤務。自分の目指した教員になったのだからとがむしゃらに働き、精一杯子どもたちと向き合った。
しかし、そんな私の姿を見た上司達は、私に仕事を押し付けていくようになった。
「サラブレットのあなたならできるでしょ」
両親が教員だったこともあり、出来て当たり前と思われる日々。
「サラブレットだもんね」と妬まれ、「若いんだから」と力仕事も押し付けられ、「若いから子どもにも好かれるわよね」と憎まれ口を叩かれる。
妬みや憎まれ口で人が怖くなったけれど、子どもたちは
必死になって働いた結果、周りから非難をあびる結果となった。そして身体を壊して1年で退職。
その後非常勤講師として働くも、「会議に出なくていいわよね」「給食食べて帰りなんて羨ましい」。
結局どこへいっても妬んだり憎んだりされるんだとわかった。直接嫌味を言われることも、周りから、嫌味言われていたよと言われることも、陰でコソコソ言われることも慣れると思ったが慣れなかった。
そして人に対して負のイメージが抱くようになり、人が怖いと感じるようになった。
そんな中、私が距離を縮められたのは、大人の私と子どもとの距離だった。
私は教員になって子どもにたくさんのことを教わった。
自分が気づかないことに気づける子どもがいることを知った。
もしかしたら、自分が学生の頃、先生と私が話していたとき、先生も同じように、私から学ぶことや気づかされることがあったのだろうか。
そう思うと、少し晴れやかな気分になった。
子どもにたくさんのことを教わり、言葉の宝物をもらった
そして、私は理科を教えていた時に最高の言葉の宝物をもらった。
「先生、先生は磁石だね」
一人の児童が私に微笑みながら言った。私が首を傾げると彼女は続けて言った。
「磁石はさぁ、鉄を引き付けるでしょう。だから、先生は磁石で、私たちはみんな鉄なの!」
どんな比喩よりもステキな表現だった。どんな褒め言葉よりも嬉しい言葉だった。私が教えている理科の知識と、私の姿と受け持つ児童との関わりを表したその言葉は、衝撃的だった。
私と児童が磁石と鉄のように引き合うことのできる距離だと思ってくれていたこと。自分が教えた知識をきちんと覚えた上で、私に言ってくれたこと。人が怖いと思っていた私にとっては、これ以上ない言葉だった。
人と関わることが怖かった。人と関わること自体やめたいと思うことさえあった。
でも、私はあの時の言葉を胸に今日も人と向き合う。
コロナで直接的な距離は離れてしまった。でも心の距離はいくらでも変えられると思った。
私は磁石、鉄を引きつけられると言ってくれたステキな教え子のことを思い出しながら、今日も物理的な距離を超えた心の距離について、考えるのだった。