バレンタインという響きに、友人は懲り懲りしたようだった。

彼女はバレンタインデーを「忖度の日」と捉える。
「だって、なんで男子のためにチョコレート作ってやんなきゃいけないの?そうでなくても、あの『友チョコ』制度、アレ何?ただ無意味に友達を厳選する日じゃない。疲れるだけ」

彼女の正直な所が好きだ。
言いたいことは私にもよくわかるから、いつも少し笑ってしまう。

厳選して渡す友人を決める2月14日は、ほろ苦い忖度デー

チョコレートなんかなくても、実際告白なんてものは、みんな自分のタイミングでしている。私の周りでは、逆にバレンタインデーにわざわざ告白している子の方が圧倒的に少なかった。

みんなすぐに友チョコばかり用意するようになるわけだが、チョコレートは子どもにはまだまだ高級品で、チョコ板、その他の食材、包装材(勿論可愛くて、お洒落でコスパもいい)、その他の飾り(勿論可愛くて以下同)等を全友人分用意すると、本当に本当にかなりの金額になる。習い事先の友人も含めれば、小学校の時だけで、30人以上は知り合いやよく遊ぶ友達ができるからだ。

私の周りは渡しても10〜15人程度に絞っていた。
危険なのはその10〜15の枠、特に、厳選して渡した相手が、こちらにチョコレートを準備していなかった場合。

2月14日は、ほろ苦い忖度デーでもあるのだ。

もらったのに準備していないときの必殺技は、「ホワイトデーで返す」

私も中学生以降、部活に入って友人が一気に増えたが、彼女たちもクラスに他の自分が入っているグループがある。
私は誰に渡せばいいのかわからなくなってきて、取り敢えず「よく一緒に喋る子」を基準に選んで準備し、当日、溶けていないか心配しながら渡した。

みんな渡せたら全員に渡したいのだし、たかがチョコレート一つ、誰が悪いでもないし。
実際本当に気にする必要なんて一切ないのに、一瞬とんでもなく気まずい空気が流れる。相手の子は私の分を準備していなかったようで、露骨に慌てていた。

ここで今日のみ使える必殺技「ホワイトデーで返すわ!」が出た。
OK!と返事しかけて、ん?返す?そういうものだっけ?と思った。
元々自分で渡したくて作った筈なのに、私は最初から見返りを求めてチョコレートを作っていたのだろうか??
友情を目に見えるカタチにして交換をして、「友達」であることを確かめているような。そんなものだったっけ?

誰も悪くないのに、準備してない側も辛い。必殺技を繰り出した

広告から生まれた文化とはいえ、告白はそもそも見返りを求めず思いを伝える事なのに。
愛が絡むと純情のプレゼント、友情が絡むと忖度の交換会だ。

自然と「いや、気にしないで!あげたいからあげただけ!」と、言いながら配るようになった。
もう無理に見返りを求めない。
渡したいから渡す、それが一番シンプルでいい。相手にも相手のコミュニティがあって、そこは私が気にする必要ない領域だ。もう、気まずいという感情は消えていた。

「はい、ハッピーバレンタイン!」
隣りのクラスでたまにお喋りしていた女の子が笑顔で手渡してきた。
わあ、ありがとう!、と受け取ろうとした手が、一瞬止まった。
しまった。
この子の分、用意してない。
彼女の輝く笑顔の分だけ、すごく申し訳なくなった。
わざわざ他クラスでたまにしか喋らない私にもくれた、優しい子。何故リストの中にこんなにいい子を入れていないの、私。
まずいぞどうしよう、誰も悪くないのにさっきの倍は辛い。
一瞬様々な考えが脳裏を駆け巡って、私はあの言葉を放つ。
「ホワイトデーに返すね!」

準備していない側も中々に気まずい。
私はその1日で、必殺技を5回繰り出した。