「この絵は何に見えるかな?」
24歳にもなれば、いい加減「帽子」だと答えてもいい頃だと思う。ほかの大人と同じように。そう思って年を重ねてきたものの、年々、失望にも似た気持ちがふくらんでいる。
周囲が興覚めすることをわかっていながら、結局言い切ってしまう。
「これはゾウを飲み込んだ、巨大なウワバミの絵に決まっている」
ものわかりのいい人間に、どうやったらなれるんだろう
高校の演劇部で、星の王子さまを上演していたのは、もう8年前。ボスという愛称で親しまれていた、横綱のような巨体の顧問が台本を書いていた。
歌とダンスによる劇は、ミュージカルが得意なボスならではの作品で、夢と希望に満ちている。
同学年のショートヘアの女子が主役で、絵本から出てきたような、愛らしいふるまいを見事に表現していた。憧れていた先輩の彼女だと知ったときは、だいぶショックだったけど。
無邪気で憎めないプリンスは、皆の羨望の的だった。
あのときの記憶が、最近、頻繁に頭に蘇る。ノスタルジーとはまた違う。どちらかといえば、罪悪感や嫌悪感、負い目を喚起する象徴のような……。
大人と言われる年齢になったのに、未熟さを露呈させる自分が恥ずかしい。
身の程をわきまえる。
暗黙の了解のようなこの掟を、社会人になってからも守れなかったことは多い。
思ったままが口から出ていくので、大抵ひんしゅくを買ってしまう。
「相手を刺しちゃってる」と言われたこともあるくらいだから、よっぽどなのかもしれない。鋭い言葉を放ちやすい自分に、欠陥を感じることが増えた。
ものわかりのいい人間に、どうやったらなれるんだろう。
努力してできるものでもない類に、わきまえない女は、悩んだ。
白黒をはっきりとつけ、世界に向かってちゃぶ台返しをした少女の存在
彗星のごとく現れた、スウェーデンの少女の存在は、そんな私を揺さぶった。
グレタ・トゥーンベリ。環境活動家である彼女は気候変動への危機感から、世界の大人を前に厳しい物言いで警鐘を鳴らしている。
「大人は白黒はっきりつけられるものなどないと言います。しかしそれは嘘です。とても危険な嘘です。私たちは、1.5度以上の温暖化を防止するか、しないか、どちらかです」
目から鱗とは、まさにこのこと。社会は複雑で、白黒つけられるはずがないというのが、世間一般の常套句だろう。しかし、グレタは違う。世界に向かってちゃぶ台返しをしてのける子どもだった。
「言っていいことと悪いことを気にしている場合ではない。はっきりと伝えなくてはならない」
アスペルガー症候群である彼女は、自閉的な人間のほうが正常にみえると言う。動じることなく気候危機を訴える少女がいなかったら、人間の未来を左右するほどの問題が取るに足らないことになっていたかもしれない。
遅々として進まない物事を前進させたグレタは、世界中のわきまえない女に勇気をもたらした。
劣等感と結び付いていた自分の言動を、赦すことができたのは彼女の存在が大きい。
素直さは時にきつい。でも、まっすぐであることは恥ではない
思い返せば、大学生のとき、ゼミで自らをBabyと揶揄したことがある。その言葉を聞いた指導教授は、意外なことを言った。
「Babyって愚直だけど、閉じてないよね。Babyは変わるんだよね。出くわすもの全部面白いじゃんって好奇心のかたまりだから。愚直なんだけど計算高くなくて、率直なんだけど、でも出くわすものをどんどん取り入れていく。貪欲に吸収してどんどん変わっていく」
未熟さがいけないのではない。弱さも強さも直視できるしなやかさがあるか。ことの核心は、そこなのかもしれない。
素直さは時にきつい。でも、まっすぐであることは恥ではない、と思いたい。
“老人はすべてを信じる。
中年はすべてを疑う。
若者はすべてを知っている。
子どもはすべてにぶち当たる。”
(ブレイディみかこ『僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー』)
年を重ねても、ぶち当たることを恐れない、子どもでいたい。