私は人を好きになったことは何度もあるが、付き合いたいとは思えなかった。
小学生や中学生は、いわゆる恋バナが好きである。私もそれに巻き込まれて、好きな人を友達に言ったり応援してもらったりしていた。
しかし、「どんな人と付き合いたい?」「好きな人と付き合えたら何がしたい?」という質問は上手くはぐらかしていた。

「付き合う」が何か分からず、現実のものとして考えられない

私は「付き合う」が何か分からなかったのである。「付き合う」っていうのは、少女漫画などの物語の中のものという印象が強くて、現実のものとして考えることができていなかった。
現実世界にも「付き合う」を実行している男女はいるけれど、小学生の私からすればカップルはただどこかに出かけているだけに見えた。「これをしたら『付き合う』!」「『付き合う』とこうなる!」といったルールみたいなものがはっきりしていないから、一向に私は「付き合う」が何かということを理解することも、想像することもできなかった。

だから、恋バナをしているときに言われる「告白しちゃいなよ!」という言葉もピンとこなかった。
なぜ、片思いの次のステップは「付き合う」ための告白なのか。

でも、私も相手のことが好きで好きでたまらないという気持ちになると、相手に気持ちを吐き出したくなる時があった。
それはただ「あなたが好きです。あなたも私のことが好きだったら嬉しくて、別の人のことが好きだったら悲しいんですけど、あなたは私のことをどう思っていますか?」と伝えただけの衝動だった。
それは、好きという気持ちをぶつけてすっきりしたいだけの、自分のことをどう思っているのか確認してみたいというだけの、5分もあれば終わる会話をしたいだけだった。

告白したきた彼と2人で、「付き合う」とは何かを真剣に話し合った

こんな考えを持ったまま、私は高校生になった。
高校生にもなれば、周りにもカップルが増えてくる。私も高校2年生のときに、初めて告白された。彼は同じクラスの男子で、一度呼び出されるも勇気が出なかったのか告白未遂に終わり、次に呼び出されたときには「好きです」とだけ告げられ、3回目の呼び出しで「付き合ってください」と言われた。
ただ、「付き合う」が何か分からない上に、それゆえに恋愛に疎かった私はとても戸惑った。
そして、「『付き合う』って何?」と告白してきた本人に聞いてしまったのだ。

彼は面食らっていた。「マンガとか想像してみればいいじゃん」と言われた。
「朝は起こして、お昼はお弁当を作っていくとか?だったら、多分できないかな」と私は返した。ふざけた返しだと思われるかもしれないが、私は真剣だった。
彼もこの私の発言で本当にピンと来ていないことを察してくれたのか、少し場所を変えて一緒に真剣に話し合ってくれた。「付き合う」って何か、「付き合う」と何をしないといけないのか。

冬、かろうじて屋根があるだけの寒い改札前で、40分間考えて結論が出た。
「『付き合う』=『理由もなく会いたいと言えて、会いたいって言われたら会えるように融通する関係性』」
時間に制限がある中で、恋人ができたことのない2人の未熟な頭で、やっと出た答えがこれだった。この答えが出て、私は彼からの告白にOKを出した。

私と同じ目線で考え、結論が出たことに安心できたから、告白にOKを

今思えば、この「付き合う」の定義は少し無理があるような、恋に夢を見ているおこちゃまな発想に基づいていると思う。
それでも、私は告白にOKを出した。なぜなら、私は安心したからである。
私と同じ目線で「付き合う」を一緒に考えてくれたこと、一緒に考えた結果出てきた答えが当時の私からしてみればできそうだと感じたこと、そのおかげで「付き合う」を自分事のように考える感覚をつかめたことに安心した。
結局、私は「付き合う」そのものが何か分からなかったのではなく、「付き合う」が自分にもできるのか分からなかったのである。

つまり、私の恋が始まらない理由は、自分の疑問を誰とも真剣に共有できていなかったからである。
私の疑問に真剣に耳を傾けてくれた人のおかげで、私の恋が始まった。
そして、分かり合おう、受け止め合おうという気持ちのやり取りから片思い時代には感じられなかった「好き」に気づくことができたし、付き合ったから理解者であり最大の味方ができたのである。