大人ってなんだろう。22歳の私は考える。
春になったら、大学を卒業して社会人になる。もうさすがに子供として扱われる年齢ではないことは分かっている。
18歳になっても、20歳になっても、「あ、大人になった」とは思わなかった。社会人になったら大人?それもしっくりこない。じゃあ私はなんなの?

何かの節目、気持ちの変化があった時、未来の自分に向けて手紙を書く

そんな風に悩んだら、私は私からの手紙を読むのだ。
中学を卒業する1ヶ月前、ふと思い立った計画だった。
何かの節目、気持ちの変化があった時、未来の自分に向けて手紙を書こうと思ったのだ。

最初の手紙は15歳の私から。志望していた高校に合格し、希望に満ち溢れている私の字は丸くて幼い。「高校生活、緊張するけど楽しみ」と書き、中学の制服姿で撮ったプリクラまで添えてあった。
そして文末には、「どんな大人になるのかな」「可愛くなってる?」「私だからできることを見つけて、幸せになってほしい」と綴っている。
未来にどんな自分が待っているかなんて、この頃の私はまだ何も知らなかった。

次の手紙は大学1年の夏、18歳の私から。荒く、雑に書きつけるような字と文章だった。
「普通の生活がしたい」「みんなにとっての当たり前がほしい」と、当時誰とも分かち合えなかった苦しみをぶつけていた。この頃の私は体と心に不調をきたし、思うような大学生活を送ることができていなかった。
18歳になれば、一足先に社会人になる同級生や結婚をする友達もいた。私だってもっとちゃんとした大人になれると思っていた。自分だけ時間や成長が止まっている気がした。その日1日を生き延びるのがやっとで、目の前が真っ暗で、未来や希望のような、そんな綺麗なものは一切見えなくなっていた。

次の手紙は大学2年の冬、20歳の私から。「また大学で頑張れている」「成人式を迎えて少しは大人になったかな」と、少しクセのある大きめの字で綴られていた。
前回の手紙を書いた後、長い時間をかけて回復した私はようやく大学生活を楽しめるようになっていた。成人式もちゃんと出た。子供の写真を誇らしげに見せる同級生もいた。20歳の誕生日ケーキは例年よりも大きかった。
手続き上は大人になった。しかし、何が変わったわけでもなく、私は私のままだった。

15歳の私が描いた大人とは違う私。でも、それでいい

15歳の私は、大人は何でも知っていて、何でもできる存在だと思っていた。いつか自分も自然とそんな風になれると思っていた。だけど、実際に年を重ね、そういう訳でもない事が分かったのだ。
だって今の私は何も変わっていない。好きなものはずっと好きだし、嫌いなものは嫌いなまんまだ。キラキラしたものを集めたい。可愛い服がいっぱい欲しい。できればピーマンは食べたくないし、買い物カゴにお菓子が入らない日はない。まだまだ知らないことばかりだし、できないことだらけ。その時の感情に合わせて、怒るし、泣くし、悲しむし、笑う。

でも、それでいい。私はずっとワクワクする方へ歩きたい。子供の頃のときめきやキラキラを忘れたくないんだ。
大人のふりした子供でいたいし、子供みたいな大人でいたい。15歳の頃の私を変えたり消したりしたくない。ずっと一緒にいたいんだ。
希望に満ちていた15歳の私も、死にたいしか頭になかった18歳の私も、また歩き出した20歳の私も、甘いものがやめられなくてピンクの服ばかり着ている甘えんぼな22歳の私も、全部が子供で、全部が大人で、でも全部が大切で可愛い私なのだ。

「もう子供じゃない」って嗜められたら、あっかんべーして逃げよう

「大人」が、ワインを飲んでスーツを着て、何でも知ってて何でもできる、強く生きていくモノなら、きっと私にそんな生き方は向いてない。
15歳の私には申し訳ないけれど、きっと君が思い描いていた通りの大人にはなれないし、ならない。
お菓子は1日3つまでならノーカウント。ピンクに賞味期限なんてないんだよ。何でも知ってて何でも自分ひとりでできちゃったら、つまらないと思うんだ。

そうやって生きてて、「もう子供じゃないんだから」って嗜められたら、あっかんべーして逃げよう。「好き」に囲まれた大事な私の世界を守ろう。
間違いは認めて謝るし、自分の発言や行動にはちゃんと責任を持つから許してよ。そうすればきっと、いつか君が言っていた「私だからできることを見つけて、幸せになってほしい」が叶う気がするんだけど、どうかな。

22歳の私の答案に、15歳の私はきっと笑って丸をつけてくれる。