22歳になると分かっていても、自由に大胆でいたい
私は、大人になれるんだろうか。
今年で22歳になると分かっていながら私は、いつまでも学生でいたいとか、自分の好きなことにお金を費やして、友達と旅行に行きたいとか、まだまだ自由に、大胆に遊んでいたいと思っている。
そんな私はちゃんと、大人になれるんだろうか。
2020年、コロナウイルスが大流行して、私の大学生活は半分以上奪われた。私と同じように、学生生活を奪われた人たちはたくさんいたと思うけど、私だけは違うって思いたかった。
私は、大学生活の中でたくさんの人と出会って、遊んで、レポートに追われ、ドタバタドンチャンする日常生活を送りたかった。
いつまでも自由に、大胆にいたいと願う私は、まだ子供のままなのだろうか。
頭の片隅にずっと存在していた、大人な“あの人”との出会いは4年前
高校3年生の時、パラリンピックスポーツの普及活動ボランティアをしていた私は、とある場所で、1人の車椅子テニスプレーヤーと出会う。“あの人”は、大学生の時に病気で、余生を障がいと共に送ることになった人だった。
コロナで人が集まるイベントが全面的に中止になった影響で“あの人”とはその後、最近になるまで会うことはなかったけれど、私の頭の片隅にずーっと存在してた人だった。
“あの人”と再会したのは、大学3年生の冬だった。
コロナがようやく落ち着いて、イベントができるようになったタイミングだった。
“あの人”からの突然のLINE。
「ボランティアをまたお願いしたい」という内容だった。久しぶりに“あの人”に会えると思うと嬉しくて、心躍った私は、すぐに返事をした。そして、ようやく再会を果たした私は、あることに気がついた。
気づいてしまった。自由でいたい私と大人な“あの人”との距離感
大人な“あの人”と再会して、私はすぐに気がついた。
私は高校3年生だったあの時と変わってなくて、大人な“あの人”は、あの頃よりもずっと、大人になっている。そう思った瞬間、私は何歩も先を行く大人な“あの人”が好きであることにも気がついてしまった。
どんなに背伸びをしても、その差が埋まることはなくて、何晩も考え込んでは涙を流した。
車の免許を取ろうが、成人してお酒が飲めるようになろうが、“あの人”の目に映ってる私は子供のままの私。一緒にご飯に行っても、飲みに行っても、かけられる言葉にはどこか子供を相手するような優しさを感じた。
私は“あの人”のことが好きなのに。でも、子供のままの私が嫌で、想いを伝えられないままいる。
今の関係を崩すのは怖い。でも想いを伝えられないままも嫌だし、子供のままの自分はもっと嫌。
わがままな私は、やっぱり子供のままなのかもしれない。
背伸びをしてでも埋めたい距離感。でも、今の関係は壊したくない
背伸びをしても埋まることのない身長差のように、自由に大胆にいたい私と大人な“あの人”との距離感も埋まることはない。
大好きな“あの人”に、想いを伝えるか、今の関係をずっと続けるか、私は未だに決められていない。
結局、距離感が埋まるわけもなく、子供の私と大人な“あの人”の間にはどんな関係が築かれていくのかはまだ分からない。
埋まらない距離感、背伸びをしてでも埋めたい距離感、今の関係が崩れる恐怖、一歩を踏み出せない子供の私、何歩も先を行く大人な“あの人”。
私は大人になれるんだろうか。