生きていくことにお金が必要だと最初に気づいたのは、いつだろうか。その事実を身にしみて感じたのは、中学生だったかもしれない。

小さい頃は、友達と遊ぶのにもお金が必要だなんて思いもしなかった

最初は何にも見えていなかった。もしかすると、お金という概念があることに気づいていなかったのかもしれない。
うんと小さい頃は、友達と遊びに行くときは親がついてきてくれた。私と私のママと、〇〇ちゃんと〇〇ちゃんのママ。あの頃の私たちは、まだ何が危険か危険じゃないか、善悪の判断がついていなかったし、自分たちが遊ぶことにお金が必要だなんて思いもしていなかった。

緑色のおじさんたちが書いてある紙幣なんて出会ったこともなくて、せいぜい知っていたのは表にお花が書いてある硬貨だけ。駄菓子屋さんに行っておばちゃんに渡すと、たくさんのお菓子と交換してくれる魔法のようなアイテムだと思っていた。

私たちが中学生という肩書きに変わった頃には、完全に自分たちだけで遊びに行くようになった。毎月お小遣いがもらえていた友人もいたけれど、私の家は必要なときに必要な分だけお金がもらえる自己申告制だった。

自己申告制ということは、お金をもらうことと引き換えに用途を報告する必要があって。「〇〇ちゃんと遊ぶから、お金をください」「シャーペンの芯が切れてしまったから買わないといけない」「塾の前に食べるご飯代が足りなくなったから欲しい」など、事あるごとに、報告をした。
なんでそんなことにお金を使うのか、と酷く怒られることも度々あった。私にとっては意味があることだったのに、理解してもらえず却下されたお願いもあった。

15連勤だって、朝晩の掛け持ちだってして、必死に働いた

大学生になってからはアルバイトが自由にできるようになった。好きな服も、メイク道具も買えるようになった。友達に好きな時間に、好きなときに会えるようになった。旅行にだって行けるようになった。
たまにお金を使いすぎじゃないかと指摘されることもあったから、そんなことを言われたくなくて必死に必死に働いた。15連勤だって、朝晩バイトの掛け持ちだって、授業の復習なんてそっちのけで働いていた。

私の多忙さは目に余るようで、友人や母親からたまにこう言われることもあった。
「いっつも忙しそうだよね、ちゃんと寝てる?」
「今日も朝からバイトなの?あなたも大変ね」

過去好きになった男の子には「そんなにアルバイトなんてしなくても良いんじゃないか。もっと有益なことに時間を使った方がいいよ、自己投資とか」と言われてしまったこともあった。「アルバイトなんかしなくていいよ。お金なんていくらでもあげるよ」って年上の男の人に言われたこともあった。

自由に使えるお金があることで、自分は自由だといつも確信していたい

みんなみんな私のためを思ってアドバイスをしてくれているのかもしれないけれど、私にとってアルバイトはもっと大きな価値があって。自分の力だけで稼いだお金、自由に使えるお金。本当は使いたくないくらい、大事な宝物で。
給料日にはいつもニコニコしながら銀行の口座アプリにログインする。金額カウンタが変化する瞬間は胸のときめきがとまらない。

結婚したら専業主婦になりたいという友人は多いけれど、私はそうは思えない。それは否定しているわけでなく、同意できないだけで。
なぜなら今、最も自立を感じることができるのが、お金を稼ぐことだから。それは専業主婦になってしまったら難しいことだから。

自分は自由だといつも確信していたい。俗にいうと、それは経済的自立と呼ぶみたいだけれど。
早く早く社会人になって、1mmも誰にも依存しない自立した人にならなければ、と思いながら、今日も私は生きていく。