「節約」があまり好きではなかった私。なぜなら、節約は生活への満足感を下げてしまうイメージがあったから。それが25歳になって、その楽しさと奥深さを知った。
社会人3年目でのこの気づきと告白に、少し恥ずかしさを覚えつつこう吐露するのは、少しでも私のこの気づきが、同じような人の心を穏やかにできればと思ったから。
おこがましさは承知の上で、お付き合い頂けたらとてもありがたい。

買い物や外食でのストレス発散は、あまりにコスパが悪い

お金の使い方は、自分を客観的に映す鏡のようだと最近気づいた。
大概フラストレーションとして消費に走るときは、自分の内側、つまり精神的に満足していないことが多い。不満足の部分をどうにか補填しようと物を買ったり、外食をしたりと散財に走るが、得られるのは一時の満足感と引きずる激しい虚無感だ。
内側を補填するうえで、外側から持ってくる「お金の消費」はあまりにもコスパが悪く、かえってマイナスのほうが大きい。

実際私は仕事のストレスで、洋服を買ったり、外食を重ねたりということが多々あった。
通販で購入した洋服の入った未開封の段ボール、少し冷めたデリバリーフードとそれに対照的なEnjoy your chickenと書かれたポップなパッケージ。領収書の数字が、よりこの虚無感に拍車をかける。
この状態がよくないことだけははっきりしていたので、私は豊かさとは何ぞやという問いに行きつき始めた。我ながら強引な進路ではあるけれど、これこそが私の「節約」に対する考え方が変わる起点だった。

沢山の本を読み進め、時としてまた自分で考え、一つの解として私が辿りついたのは、豊かさは「自分が内側から作り出す能力」だということ。そしてそれは如何にせよ外部からの補填がきかず、唯一無二性を持っているということだ。

自宅にあるもので久しぶりに作った味噌汁で気付いた「豊かさ」

この着地に至ったのは、久しぶりに自宅で作った味噌汁だった。
冷蔵庫を覗くと、残りものの野菜が数種類。お金のためにも、デリバリーし過ぎはよくないよなぁとざくざく野菜を切り始める。味付けも具材も適当な普通の味噌汁。なのに食べてみると、そのおいしさに驚愕した。
え?味噌汁ってこんなにおいしかったっけ?そして心がじわじわと温まってくるのが分かる。虚無感が後追いすることもない。これは……!
自分で自分を満足させられた、この事実がより私を嬉しくさせる。そしてこの事実は消費されることなく自分に蓄積されていく。外から持ってきた冷めたデリバリーフードとはわけが違うのだ。
「節約」を動機にした久しぶりの自炊が「自分で作り出す豊かさ」を教えてくれた。

私はこの経験を、他のことでも実践してみた。
かわいいコスメをSNSでみてほしいと思えば、まずは自分の持っている化粧品を整理して一つ一つキレイにした。そうするとやっぱり私の心は穏やかになって、1つ1つへの愛着が出てくる。
それは一時的な物欲を収め、自分の持っているものを見つめ直すことで豊かさを作り出したことになる。

「豊かさ」を感じると同時に、目的ではなかった節約もできるようになった

こんな風に消費を抑え、自分が持っているもの・あるものの中で作り出す、もしくは見つめなおす豊かさを覚えたとき、自然とお金もついて来始めた。
お金を貯める、節約する、ということが大目的で始めたわけでないけど、豊かさの価値観とお金との構図を知ったことで、自然と「節約」できるようになった気がする。拗らせながらも私は25歳にしてここに辿り着いた。

ここまで書き進めてきたが、私の願いはただ1つ。息をしているだけでお金がかかるなんていう世の中だけど、少しでも息がしやすいようにすべての人が生きてほしい、ということだ。
節約を通して私の見つけた豊かさは、お金がかからない。そしてお金を貯めてくれる。
人生100年時代と言われる今日。未来を案じすぎず、穏やかに過ごすためにも、良い気づきを得られた出来事だった。