「ブス」。この言葉は「容姿が醜い女性」と「女性を罵る言葉」の二つの意味合いを持っている。そして誰に対しても決して発して良い言葉ではない。相手を傷つけるからだ。
では、どうしてこのような失礼な発言をする人がいるのか。
私はある出来事で、この失礼な言葉を言う人には複雑な背景がある場合があることを知った。一例かもしれないが聞いてほしい。

無視、ひたすら容姿の悪口。私と一言も話していないのになぜ?

6月頃、私は大学時代にある部活の新入生歓迎会に参加をした。といっても4月に入部しているため、先輩や同期とはそれなりに親しかった。
その新入生歓迎会は他校との合同新歓であり、その学校の先輩や新入生とも交流する機会があった。
私たち新入生はそれぞれ、他校の先輩に挨拶回りをしに行った。学校は私たちの学校含め4校。

私は、そのうちの1校の部長(以下A部長)から挨拶を無視された。心なしか睨んでいるようだった。
何か事情があって不機嫌なんだろう、と思っていたが、他の同期には挨拶を返している。A部長の学校の仲間に対しては「女子会楽しい~」と言って自撮り写真を撮っている。
「どうして私だけ……?」
悲しくなったが、私の学校の先輩や同期、A部長以外の他校の先輩方は仲良くしてくれて、次第に悲しみも和らいでいった。

そして事件は起きた。
Twitterで部活の先輩や同期をフォローしていると、「リツイート」や「いいね」のお知らせに、私を無視したA部長のTwitterが流れてきた。今思えば興味本位で見るんじゃなかった。
A部長のTwitterのアカウントでは、ひたすら私の容姿に対して悪口を言っていた。
「新歓にいた茶髪ブスキモイ〇ね」
「他校のあの芋女は〇ね」
「あの他校の後輩デブスだろ」
「対して可愛くないのにしゃしゃり出てウザイ」

そして私の悪口に交じって、
「AさんはDカップで胸がデカくて辛いwいっそそぎ落としたいw」
「筋トレしすぎて体脂肪率20パーセントきりそう」
「ウエスト60cm以上は人権ない」
と、体型自慢と自撮りやプリクラを垂れ流していた 。過激なツイートをしていて鍵をかけていないことにも驚いたが、何だか一周まわって可哀想になってきた。
しかし、一言も話していないのに何が気に障ったんだろうか。他校の別の先輩に相談したところ、気まずそうに理由を話してくれた。

なんだ、嫉妬か、だけではすまないコンプレックスの根深さ

理由はいくつかあった。A部長の「推し」であった、私の学校の先輩が私のことを好きであったこと。他校の男子たちと仲良く盛り上がっていたこと。また、私はA部長より胸が大きく、A部長より偏差値の高い進学校出身であったこと。高校時代の部活でA部長は県大会しか出た経験がなかったが、私は県大会で優勝して全国大会に出場していること。

いわゆる「負けた」と感じたことが気に食わなかったらしい。そしてA部長自身では勝てないため、外国人モデルやKPOPアイドルを引き合いに出して私の悪口を言っていた。また、他校の先輩いわく、A部長は容姿に強いコンプレックスがあったそうだ。飛び抜けて美人ではないけど、小動物のようで男ウケする私の容姿が気に入らなかったらしい。

ああ何だ、嫉妬か~だけで片付けられたら良かったが、あまりの生々しさに更に哀れみを感じた。
性格が悪い言い方をすれば、A部長がいくら努力しても得られない容姿や経歴を私は持っている。そのためA部長は歪んでしまったのだろう。
コンプレックスという言葉に複雑さという意味合いがあるように、Aさんの「ブス」の言葉の中には複雑な意味合いが込められていた。その言葉を他者に吐きながら自分自身のコンプレックスと自動的に向き合ってきたのだ。A部長はあのイベント以来、集まりに顔を出さなくなったという。

その後、1回だけ部活の発表会ですれ違ったが、案の定、挨拶を無視された。また、A部長は他校ではボス的なポジションだったため、一部の他校の女子部員からビッチ・男好きなど根も葉もない悪口を言われた。そして他校の同期に感化された私の学校の同期からも同じような悪口を言われ始めたため、私は部活を思い切って辞めた。

最近、私の学校の先輩と会う機会があった。先輩はみんなの近況を教えてくれた。A部長は風の噂でどうやら公務員になったらしい。自撮りや他人の悪口は減ったらしいが、体型自慢に加えて公務員の仕事の成果を自慢し始めるようになったらしい。
私は心の中で「A部長のコンプレックスが少しでも解消されて良かった」と安心した。

その言葉の裏にはもしかしたら複雑な意味合いが?

昨今は、人気俳優やアイドルと関わった女優やアイドルに対して、容姿への誹謗中傷が耐えない。私はこの経験を通して、もしかしたらその「ブス」という言葉には「〇〇くんと近づくなんてずるい」「自分の理想とする美人ではないくせに表に出てずるい」など複雑な意味合いが込められているのではないかと感じた。そして、その言葉を発することは自分自身のコンプレックスを下品に露呈していることにも繋がる。

もしその言葉を安易に使う人がいれば、そのパワーや意識を自分磨きに使えばいいのに。私は毎度ネットニュースを見てそう思っている。