「はい。もしもし」
受話器をとると言われる言葉がある。
「お子さんですね。お母さんか、お父さん、大人の方はいらっしゃいますか」

私は大学3年生の22歳。今年で23歳になる。しかし、148センチの小柄な身長、童顔、高い声。パッと見ただけでは、22歳の女性には見えない。
電話口の声だけではわからないのは当たり前で、別になんとも思わない。普段から中学生や高校生に間違えられてしまうことには慣れている。
ただ、ときどき、見た目も心も大人になり切れない自分と、社会では大人のレールを進んでいる自分、そのギャップにどうすればいいのかわからなくなる。

嫌だと思う反面、そういうキャラクターを進んで受け入れている

コロナ禍と自分の体調もあって、外に出てバイトをすることもなく、ただただ家や周辺に出かける日々は、進んでいるのか止まっているのかわからない。なのに、確実に歳と年月だけは進んでいく。

実家暮らしで、まるで高校生のときから変わってないな。幼いシルエットと、甘えん坊でからかわれやすい性格の私は、家でも外でも小さな子供。嫌だ、嫌だと思う反面、そういうキャラクターを進んで受け入れてしまっているのも事実。

今まではよかった。ただ、もうすぐそうも言っていられなくなるだろう。
高校卒業、成人式、大学卒業、社会人……レールに乗った私は、自分の意思に関係なく、勝手に進んで行ってしまう。

見た目も心も全く大人になれてないのに、社会からは大人として求められる。大人っぽくて、素敵に写っていた母からのお下がりの振袖は、なんとなく自分が着ると着せられているように見えてしまった。
こんな子どもが大人のように対応していけるのか。そう思うと、楽しみよりも不安だった。

メイクにヒール。モヤモヤとしていた大人像が、薄い輪郭を見せた

ある日、偶然にもテレビで女性アイドルを見た。
私より年下の彼女たちは、普段は無邪気で年相応の可愛い女の子なのに、ライブではかっこよく、すでに立派な大人に見えた。

何が違うのだろう。できるところから挑戦するために、まず見た目を意識してみようと思った。
マニキュアを買って爪を塗ってみる。メイクをしてみる。ヒールの高いブーツを履いてみる。
どれも初めてのことで、変わっていく自分にドキドキした。ヒールの高いブーツを履くと、姿勢や歩き方もきちんとしようと思えた。周りの人にどう見られるか、わくわくした。
でも、周りの人の視線よりも、鏡に映る私が初めて見る大人になった姿ですごく嬉しかった。

この経験は、無責任に大人なんて遠いと諦めてしまっていた私に、モヤモヤと漠然としていた大人像が、薄い輪郭を見せてくれた。私にもちょっと手を伸ばせば手が届きそうだと希望を持たせてくれた。

見た目は大人でも、できるならもう少し、心はこのままでいたい

ほんのちょっとのことだ。見た目を変えただけで、ちょっと大人になれた気がした。
じゃあ心は?私は見た目だけ、大人になるの?
それは違う。でも、できるならもう少し、心はこのままでいたい。これが私の本心だった。

きっと本当に大人になることを求められる日は来るだろう。できないとか、不安だとか言っていられないような時が来る。だから、そのときに大人になれるよう準備しておけばいい。
社会から見られる大人像と子どものままの心の葛藤は続くだろうし、矛盾に嫌気がさすかもしれない。
変わりたいと思えれば、きっと私は大人になる努力ができる。私は大人になるまでの積み重ねとして、もっといろいろな経験がしたい。

すごく努力をして大人になる人もいる。慌ただしく毎日を一生懸命生きていて、ふと振り返ると大人になっていた人もいる。見た目を変えることで心も変わる人もいるだろう。どれも素敵な方法だと思う。

私はどうやって大人になるか、どうしたら大人になれるのか、まだわからない。でも、一人一人葛藤を抱えたまま、違った方法、違ったペースで大人になっていいのだと思う。