「わからない」。それは底知れない恐怖で、子どもながら未来に絶望した

子どもの頃、ノンタンの絵本を読んだ。大きくなったら何になりたい?というお話だったと思う。
みんなが夢を語る中、ノンタンは「大人のノンタン」になる、「子どものまま大人になるんだ」などと発言するシーンがあった。
私はその発言に、衝撃を受けたのを覚えている。何度も本を読み返したが、今でさえ同じ感想を抱く。
ノンタンは、大人になりたいんだ……私、大人になりたくない……。

ノンタンが、周りにいるお友達のように、お花屋さん、お巡りさんといった、何かになる夢を語らなかったので、私は「何の夢のない、ただ肉体が成長した大人になる」という勝手な解釈をする。なんかつまらないな、という感想を長らく持ち続けていた。
実際、お店屋さんがいくつ存在するのか想像もつかないし、大人がどういう状態を指すのかもわからない。私が眠る時間までビルに籠り、朝起きたらもうビルに出社している人たちもいる。彼らがスーツを着て、いったい何をしているのかもわからない。

「わからない」。それは、底知れない恐怖であった。私は途方もなく遠い先の未来のことを思い、子どもでありながら絶望した。今思えば、寄り添って説明のできる大人がいるべきであったと思う。

暗中模索する私は、好きなバンドのボーカルの決意と行動力を尊敬した

少し大きくなって、25歳の大人を想像する機会があった。
今と変わらない状態で背が高くなっている姿。髪型も変わらない。しかし、おでこに3本の皺が走っている。顔のあちこちにしわがある顔。……ちょっとおばあちゃんになりすぎている。やはり想像には限界があった。

16歳から17歳になるとき、精神年齢が追い付いていないのではないか?と感じ始めた。JKという言葉が出回り、尊い価値があるのが果たしてその3年だけなのか?世の中の流れが短絡的に思えた。“Seventeen”のタイトルにあやかって雑誌を読んでみるものの、自分の気持ちにどうしてもしっくりこない。

そんな私は、某ロックバンドが好きで、ボーカルのブログ更新を日々楽しみにしていた。
ボーカルが20代の時、誕生日に綴られた「気持ちは15歳の時から変わってないんだけどね!」という熱い気持ち。彼は10代の頃より自身のバンドで進むと決意し、その後、楽曲のヒットを連発させ、海外進出していった。自分の良さを最大限発揮して、想いを受け取った人が「頑張ろう」「生きたい」と思ってくれることが、人生において誇ることのできる唯一大切なものになっていくと思う。

彼はそうしたことを折に触れて語る。まだ暗中模索する私は、彼の意志と溢れる情熱を尊敬し、ずっと大人に感じていた。
大人のスタートラインを切るのはいつからなのだろう。年齢の変化、肉体的な変化、社会制度の変化のみで、大人と言い切れるだろうか。精神面で大人のスタートラインを切っている人は、周りで六等星のように息を潜めて輝いているのかもしれない。私はぼんやりとした焦りをいつも抱えていた。

不確かな日々に焦る大人の今。子どもの気持ちは持ったままでいたい

馬などの動物は、天敵が来ても逃げられるよう、生まれてからすぐ立ち上がる。あっという間に成長し、走り出す姿は大人同然だ。
対して、人間は未熟な状態で生まれてくるので、誰かがお世話をしないと大人になるまで育つことができない。知識や技術を得ることを考えると、人間は成長し続ける。精神面での大人のゴールラインは一生無いように感じた。

何とも不確かだが、大人になることで得られるのは「経験」だと思う。生きる知識は身を助け、良きメンターとなる日も来るだろう。私がどん底に沈んだ時、信頼できる年上の方から、人生経験の深さに助けられたことが何度もある。地面だけを見つけていた時、少し顔を上げると、気づくことのなかった風景が広がっていることを知った。
視野の広いアドバイスに従い、結果として英断になった。

不確かな日々に焦る気持ち。小さな夢を風船のように膨らませ、良いことを見つけようとする大人の今。子どもの頃の気持ちは持ったまま、良い経験を積み重ねたいと思う。