「成長は痛みを伴う。それは身体的成長に限らない」。アメリカの作家、エルバート・ハバードは生前、そう言い残した。

彼の言葉は老若男女問わず、大勢の心に響くと思う。困難を乗り越えることで、人は強くなれるというけれど、自分が辛い状況下に在るとき「ここを乗り切ればさらに成長できる!」と自身を鼓舞しながら、切り抜けられる強い自分ばかりではないのも事実。

ただひたすらに悩んで、耐えて、膝を抱えたまま隠れるように嵐が止むのをやり過ごした時期が、私にもあった。

女性として、大人になっていく自分を受け入れるのに時間がかかった

自分が女であることを自覚し始めたのは、10代後半の頃だった。今年、私は29歳になる。

心の成長を性別でカテゴライズするのは、今のトレンドとは少しかけ離れている気もするし、青少年から思春期を経て大人になるという過程は性別を問わず、誰もが経験することだ。けれど、身体面の成長では、男女で明らかに差異がある。

私は女性として、大人になっていく自分を受け入れるのに少し時間がかかった。自分の思ったこと、感じたことを自由に表現して、無邪気でいることが当然のように許されていたはずなのに。

まだ子供のままの内面は、徐々に女へと変化する自分の身体の成長に、ついてはいけず均衡を保てなくなる。身体が丸みを帯びて、生理が始まる。いくら子供のままでいたいと願っても、身体は成長し続ける。

私がまだ幼かった頃に両親は離婚し、私の中の父親の記憶は5歳くらいまでしかない。断片的だけれど楽しかった思い出が多く、怒られた記憶はほとんどない。それ以降は、母と2人の姉と暮らしていた。

私たちがある程度大きくなってから、母は離婚の理由を教えてくれた。まだ小さかった私にでもちゃんと理解できるように丁寧に説明してくれた。今時3組に1組は離婚するといわれているから、それほど珍しくはないだろう。

私にとって男性は、自分を無条件に受け入れて「愛してくれる」存在

小学校高学年から大学2年生くらいまで、一緒に暮らした男性がいる。母とは再婚はしていなかったそうだが、私にとって第二の父親のような存在だった。

彼は、私たちにとても優しくしてくれた。彼のおかげで経済的に余裕ができ、私たちはお金の心配をすることなく、姉妹3人とも海外留学までさせてもらった。

とはいえ、今思えば私は、常に彼の顔色を伺いながら生活していたと思う。いくら一緒に暮らしていても他人であることに変わりはなく、100%心を開くことはなかったし、いつも心の片隅に父への思いがあった。それでもその彼が一緒に暮らしているというのは、とても新鮮で安心感がある。“父親のような存在”に守って貰えることの喜びを知った。

21歳のとき留学から帰って来て以降、彼に会うことはなかった。詳しい理由は分からないけれど、事業でトラブルがあったそうだ。正直、彼が私たちの元を去った理由も、その事実さえもあまりに突然だったので、私はまだ消化し切れていない。どこかで元気に暮らしていれば良いのだけど……。

いつかどこかで「生まれて初めて一番密に関わった異性が、大人になってからの恋愛観の基盤になる」と聞いたことがある。私には無条件に私を愛し、いつでも抱きしめてくれる母はいたけれど、父に抱きしめてもらった記憶はあまりない。あっても夢のように不確かで、本当にあった過去なのか、私の創った妄想なのかの区別ができないくらい。

思春期に入ってから異性と接するとき、子供の頃とは違う目で見られているような気がした。彼らにそんなつもりはなかったのかも知れないけれど、私は、そのことにとても嫌悪感を抱いていた。普通に仲良くしたいだけなのに、下心を隠し持っているようにしか見えなかった。

私にとって男性は、自分を無条件に受け入れて愛してくれる存在ではなかった。誰もがどうせいつかいなくなる。無意識にそう思っていたのが、今までの交際が長続きしなかった原因の一つかも知れない。

幼少期の異性との記憶は、大人になってからあまりにも大きな意味を持つ。身体の成長と同じで、母親と父親の愛は受け取る方も与える側も、多分、少し違う。

言葉で上手く説明できないけれど、女友達と男友達には相談する内容は若干違うとか、そんな感じ。

私が出会う男性全てに求めていたのは、「父親のような」愛だった

こういう風に自分の過去や考え、思いを文章にまとめると、思考を整理して自分を冷静に客観視することが出来る。書きながら「あ、私、典型的なファザコンだ」と思った。うっすら気付いてはいたけど、再確認した。

私は出会う男性全てに、“私が女性であることに対してではなく、私が私であることを受け入れて、無条件に愛してくれる良き父親像”を求めていたんだと思う。

ようやく最近気づいたことは、起こった事実よりも大事なこと。それは、過去をどう受け止めるか。誰のせいでもない。自分のせいでもない。嘆いてももう過去は変えることは出来ないし、一般化しすぎた自分の思考の呪縛に囚われて悩むより、決めつけを捨ててこれからどう変わろうか考えるほうがよっぽど楽だ。

そして、何より関わった全ての人、物に対して感謝の気持ちを持つことで、今の自分はいとも簡単に変えられる。私は父にも、去って行ったあの第二の父にも感謝している。産んでくれたこと、優しくしてくれたこと、そう思おうとしているのではなく、今では本当に心から感謝できる。

私にそう教えてくれたのは、10年前に亡くなった祖父だ。祖父は、私たち孫に無条件の愛を注いでくれた。私の全てを肯定し、いつでも私の味方でいてくれた。

それは性別の垣根を超えた大きすぎる愛だった。私の心に祖父がいる限り、成長に伴う痛みにさえも感謝できる気がしている。