落ち着いている、大人びていると言われることの多い私だが、自分自身はまだまだ子どもだと思っている。

就職し、親の扶養から外れたときも「大人になった」とは思わなかった

二十歳で成人したときも、「お酒が飲めるようになった」くらいの感慨しかなかった。
その時はまだ実家暮らしの大学生であったし、その後も親のお金で留学させてもらい、大学も奨学金を借りることなく卒業した。

就職して、親の扶養から外れたときも自分が「自立した」「大人になった」とは思わなかった。
そう思った理由は、一人暮らし用の物件を契約したときの証人が父親であったからかもしれない。

長期休みには実家に帰省し、大学生の頃のように母親にごはんを作ってもらい、食器洗いの家事をした。
ごはん作りを代わりにしようと申し出たが、母親は手伝いを求める程度で、全てを私に任せようとしなかった。
祖父母宅に行ったときも来訪を歓迎してくれた。掃除を手伝い、お小遣いをありがたく受け取った。

経済的に完全に自立し、誰かの責任を持つ立場になるとき、つまり結婚して家庭を持ち、子どもを産んで自分が誰かの親になるまでは、「大人」とは言えないのではないかと思っている。
そしてそれまでは、子どもや孫という「ロール」を演じることが求められていると感じてしまっている自分がいる。

後輩の前で演じる頼もしい先輩像。輝いて見えた先輩に親近感を抱いた

家庭内以外の仕事では大人になれているのかというと、どうだろうか。

私が入社して1年目のときにメンターとしてついたのは、3年目の女性の先輩であった。
先輩は自分の仕事をこなし、後輩の自分の質問にも時間を割いてくれる。
3年目にもなると、自分の仕事を完璧にこなし、自分のこと以外にも気を回せるようになるのだと、感心した。

いざ自分が3年目になってみると、全く完璧に仕事をこなせず、やはり先輩はすごいなと思ったが、後輩の瞳には1年目の私と同じ輝きがあり、自信を持つことや、堂々と振る舞うことが求められているということに気づいた。
先輩も後輩ができることに不安を感じていたが、頼もしい先輩像を見せるためにがんばっていたのだろうかと思うと、急に親近感を抱いた。

私も3年目の終盤になると、後輩からアドバイスを求められることも増えたし、他の部署の人からも頼られることも増えたが、それらには自分の経験を元に対処ができるようになった。
しかし、今年度部署を異動し、今までの経験が役に立たなくなったとき、再び新入社員のように右も左も分からなくなってしまった。
仕事への自信は失い、4年目にもなるとメンターもいない。
残業が続けば自炊も難しくなり、他人はおろか自分の面倒も見られていない。
仕事での自立はまだまだ模索中である。

自分の意見を持ち、自分のやりたいようにやってみることが自立の一歩

大人イコール自立していることが求められると考えているのだが、私はまだまだ精神的に親に依存している。
分からないことがあれば親に相談するし、そのまま親の意見を受け入れることもある。

親からの自立は、まずは自分の意見を持って、自分のやりたいようにやってみることだと思う。
これは仕事の独り立ちにも通じるところがあり、よく上司から「自分はどうしたいのか」と聞かれる。

また、一人暮らしをしているとどうしても適当に済ませてしまうが、自分の生活を整えることから始めることで、家庭を持ち自立することに繋がると心に刻み、怠けそうになる自分を叱咤激励したい。