ポツリ、ポツリと、友達に彼氏ができだして、今となっては私がひとりでポツリ。
久しぶりに会った友達から聞く彼の話。SNSで更新される彼との写真。いろんなところに行っている。楽しそうね。幸せそうね。私までもが嬉しいよ。
恋愛が充実してる友達をみると、なぜだか自分のことがより好きになる
私は大学4年間、男の人に指1本触れぬ学生生活でした。高校を卒業するとき、地元に残る友達に、「男連れ込めるね」と言われましたが、このワンルームを4年間ひとりで守り抜いてきました。入居時に男の人を寄せ付けない効能を持つ煙でも巻いたっけと、つい笑っちゃう。
去年の夏、ひとりでレディースデイに台湾映画を観に行った。ヒロインの同僚として登場する可愛いくてモテて、素敵な彼もいる女の子。
ヒロインはこの同僚ちゃんと自分を比べて、しょぼんとする描写があった。私はこのとき、ヒロインを抱きしめたくなった。自分とヒロインを重ねた。
私は、恋愛が充実してる友達や知り合いをみると、なぜだか自分のことがより好きになる。普段、自分に対しての感情を抱くことなんてあんまりないけれど、誰かに彼氏ができたと聞いたとき、自分を見つめ直した末、自分のことをとても愛おしく思う。
それは、まだ見ぬ運命の人に期待を寄せているからなのか、思春期の長い長い片思いにいまだに浸っているからなのか……。それとも、自分はツイていない悲劇のヒロインで、だけどいつか劇的で特別な出会いをするんだと、どこかの映画の主人公とでも思い込んでいるのかもしれない。
「ひとりでかわいそうな自分」を自分の中でより膨らませて、こじらせることで主人公感を演出しているときもきっとある。
友達に彼氏ができたと聞いて「羨ましい」と思わない自分のことが好き
まあでもとにかく、どんな理由であっても、友達やらに彼氏ができたと聞いて、「羨ましい」と思わない自分のことが好きだと思う。なんでかははっきりとわからないけど、「あー、私は私でよかったぞ。今日も明日も私だぞ」と思える。
たとえば友達が素敵な彼と一緒にドライブをしているとき、綺麗な星をみているとき、クリスマスプレゼントをもらっているとき、バレンタインチョコを渡しているとき。私は夜中にひとりでラジオを聴きながら、大好きなハーブティーの味を愛おしく思っている。
自分の食べたいものを作る時間。撮り溜めたドラマを観ながらごはんを食べる時間。ケーキ屋さんで買った焼き菓子を開ける瞬間。美術館でみた絵のことが綴られたスケッチブック。最近見つけた美味しい定食屋さんのメニューを制覇するという私だけの目標。
ふと入ってみた、ずっと気になっていた珈琲屋さん。今日は天気が良いからカフェでも行こうと外に出たときに、ひとりじめして浴びる日差し。全部私がひとりで歩いて生まれた、ふとしたものだ。そんな何気ないもののどれもが愛おしい。
今は日常の幸せや感情をひとりでみつけて、自分をもっと好きになりたい
もしかしたら、好きな人と共有できたら、もっと愛おしくて楽しいのかもしれない。だけど今はまだ、日常に散らばっている幸せや感情をひとりでみつけて、自分のことをもっと好きになりたい。
私がどこに行っても、私はついてくるんだし。私は、私と一緒にどこにでも行けることが嬉しい。
今夜は少し散らかったままの部屋で眠っても大丈夫。どうせ誰もこないんだし。日々を精一杯生きて、疲れたら自分と遊んで癒されて。なんたって主人公な私を抱きしめながら、これからも。