私の想像していたハタチは、もっと「大人」だった。

自分のことくらい自分でできる人。
なんなら、親孝行だってできちゃう人。

2019年1月15日、朝8時。
わたしは、お母さんが温め直してくれたお味噌汁を口にしながら痛感した。
成人式を迎えても、私はまだまだ子供だった。

成人式の準備、車での送迎、朝食…全て父と母がやってくれた

女の子の振袖は、目が飛び出るくらい高い。たった1日レンタルするだけなのに、大卒入社の初任給は軽く超えていると思う。

そんな高い金額を、月収数万円の大学生が払えるわけもなく、両親が当たり前のように払ってくれた。支払いだけではない。前撮りの手配とか着付けの予約とか、まさに「手取り足取り」ほぼすべての用意をしてくれた。

もちろん当日も、両親が何から何までやってくれた。

成人式のある会場は、最寄駅から徒歩30分というかなりへんぴな場所にある。「バスは混んでいるし、電車で行って駅から歩くのは寒いから」父はそう言って、車で会場まで連れて行ってくれた。

会場内までは入れないので、おそらくわたしの成人式が終わるまでの数時間、会場近くのコインパーキングで時間を潰してくれていたのだと思う。

成人式が終わったあとは、急いで家に戻り、同窓会用のドレスに着替える。そしてふたたび成人式会場近くの同窓会の会場まで向かう。これも当たり前のように父は車で送ってくれた。

そして翌朝。
同窓会が終わったあとも家には帰らず、そのまま旧友とカラオケでオールをしたわたしは、朝8時に帰宅した。

父はすでに家を出て会社に向かっていたし、母も会社に行く準備をしていた。
ろくに連絡も入れずに朝まで帰らなかったわたしに対して、嫌な顔はひとつも見せず
「おかえり。楽しかった?」
「味噌汁あっためようか?」
母はそう声をかけてくれた。

小さい頃に想像していた「ハタチ」とは程遠い自分

このときになってようやく、わたしは自分自身の未熟さを痛感した。
何が成人だ。
成人とは「一人前の人」に「成る」という意味だそうだが、いまのわたしはすべてが半人前でしかない。

大学入学と同時に一人暮らしを始めて以来、両親から「〇時までに帰りなさい」とか「はやく寝なさい」「はやく起きなさい」などと言われなくなって、なんとなく大人になった気がしていたのだ。本当は自分では何もできないのに。

両親がお金を払ってくれた振袖を着て、お父さんの運転で会場に向かって、連絡すら送らずそのまま朝まで遊んで、お母さんが仕事前に作ってくれたお味噌汁を飲むハタチのわたし。

小さい頃に想像していたハタチとは、かなり違った。

明日には、お父さんが予約してくれた飛行機で東京に戻る。
両親が家賃を払ってくれている家に住み、両親が学費を払う大学に通う。

両親が何もしてくれなかったら、わたしは確実に、成人の日はおろか、大学生活すら送ることが出来ていない。
わたしにとって成人式は、まだまだ大人になりきれていないことを痛感させてくれた日だった。

月日が経った今。あの頃よりはきっと「大人」になれたかな

あれから3年、無事に大学を卒業し、社会人になった。
新卒1年目も終わりを迎えようとしている。

当初は家計簿すらつけられなかったわたしも、数ヶ月で圧倒的な出費の多さに気がついてなんとか節約できるようになった。毎月ギリギリだが、家賃だってちゃんと自分で払っている。

再来週、久しぶりに実家に帰る。もちろん、自分で稼いだお金で。
そろそろわたしも「大人」になれただろうか?