私が大人になったのは18歳の秋、妊娠検査薬に陽性反応の線がくっきりと出た時だった。
だけどまだ18歳だった私は、嬉しいと素直に喜ぶことができなかった。
不安とまさか自分が……という気持ちに陥ってしまったのは性に対してのだらしなさと無責任さからで、子供と大人の境目で翻弄される18歳の『少女』の本音だったと今は思う。
一日一日が過ぎていく中で、彼との間にできたお腹の子供は成長をしているのに対し、私だけは感情の整理が付かず、あの日から時間がとまったような日々がつづいた。

18歳で妊娠した私はまだ子供で、子育てができる自信なんかなかった

妊娠した私を見て、みんなが心から喜んで祝福してくれるわけがない。
私はまだ18歳。世間はまだ私を『子供』と呼ぶ。
親に生活をさせてもらっている身で、まだ1人では何もできない子供だから。
ずっと家族に支えられて生きてきた私が、家事も育児も一人では何もできない。ましてや根拠のない自信なんかどこにもない。
子供が子供を育てるなんてよく言うけど、ほんとにその通りで、子供に子供を育てることが出来ないのが現実。
私の家族、彼の家族と今後についての話し合いをしても、そう簡単に話は進まず、張り詰めた空間にいる私たちの時間だけが進んでいた。

この話し合いの中で私が1番の主要人物なはずなのに、なかなか自分の気持ちを言葉にすることができない。
この中にいる大人に自分の気持ちを否定されるのがこわい。
独りよがりな大人に対する思いを優先させてしまっていた。

何も発することなくただ黙ってうつむくだけの私をみて、一言声を上げてくれたのは私のお母さんだった。
「産みなさい。この世に産まれてこなければいい命なんてひとつもないから」
その一言に涙が止まらなかった。
私が発したかった言葉に対しての受け答えのように感じた。
きっと大人達に否定されるのが怖かったんじゃない。本当に怖かったのは完璧な自信と覚悟がない自分だった。そんな自分が発言することが怖かった。
全てお母さんには見透かされていたようだった。

初めて我が子を見たとき、私は母親になったと同時に大人になった

あの日、あの言葉で、私は覚悟と自信を持って母親になることを決意した。
その後、彼とは結婚をして家族になった。
出産をしてはじめて産まれた我が子を目の当たりにした時、自分を犠牲にしてでもこの子を守る、と今まで感じたことのない責任を感じた。
これまでの人生の中で感じたことのない重みだった。
あの日、私は母親になったと同時に、一人の責任のある大人になった。
きっと覚悟と自信がないと、こんな責任を感じることはない。
あの日のあの一言は私がこれから歩む人生の分岐点となった

学生だったあの頃、就職だったり、進学だったり夢も希望もやりたいこともなかった私は、環境の変化を恐れて大人になることがずっと怖かった。
心地いい環境に甘えすぎていた。
何かに対する責任からも自分を犠牲にすることからも、ずっと逃げて生きてきた。
そんな私が我が子を通して本当の大人になる意味を知れた気がした。
毎日楽しいことばかりじゃないけど、大人になるってあの時想像してた以上にステキなことなんだと、ふとおもう。
あの頃、子供と大人の境目で戸惑っていた子供だった私に今の私が教えたい、大人になるということ。