「大人になること」を自覚した瞬間を、私は鮮明に覚えている。
二十歳になり、高校時代の友人4人とその親と一緒にBBQをしたとあるゴールデンウィークのことである。二十歳ということで、乾杯に各々ビールが与えられた。ちょっと良いビールだった。
甘いと思って飲んだら、予期せぬ苦味に変わる。マジックかと思った
私はビールが好きじゃなかった。
あ、ちょっと待って。未成年飲酒をここで公言するというわけではなく、ビールに対して良い印象がなかったということである。
以前、仕事終わりに父が飲んでいた泡のないビールを、私がジンジャーエールと間違えて飲んだことがあり、親子大戦争に発展したことがある。
甘いと思って飲んだものが、予期せぬ圧倒的苦味に変わる。マジックかと思った。父がMr.マリックに見えた。当時、絶賛反抗期だった私は「こんなものを美味い美味いと唸りながら、飲んでるわけ?信じらんない!そして飲みっぱなしで風呂に行くな!ジンジャーエール買ってこい!」と逆上した。間違えたのは自分にもかかわらず、全て父のせいにした。
何にせよジンジャーエールだと思って勢いよく飲んでしまったがために、酔いが回り、吠えに吠えまくった。
思いがけず娘に嫌われたあの父の悲しい顔を、今でもよく覚えている。私の舌も、私の心も、あらゆる点において苦い思い出である。
苦いと思っていたビールに「……うんまっ」。少しだけ悲しくなった
5月にもかかわらず夏のような日差し、よく晴れた日。友人宅の広めのガレージ。炭火で焼かれた牛肉の匂い。最高なBBQ日和の中、冷蔵庫からキンキンに冷えたビールを渡された。
この状況で、先ほどの思い出を語るほど私は空気が読めないわけではない。鬱陶しがられるほかない。乾杯の音頭と共に、私は恐る恐るそのビールを口にした。
ゴクッゴクッ。ん……あれ……。
「……うんまっ」
自分でも信じられないほど自然と言葉が出た。こんな美味い飲み物があるのかと感動した。
日差しの暑さとはまた違う、内側から頬が熱くなるのを感じる。何だこの高揚感。この苦味をじっくり味わうことが出来るようになってしまったのか。
そうか、私は今、大人になってしまった。
嬉しかったけど、何故だろう。少しだけ悲しかった。
「大人になること」って、色々ある。大人を自覚する瞬間って、それぞれにある。私は「こうであるべき」に思いがけず裏切られた時、それを受け入れられる余裕の有無が、大人と子どもの違いだと思う。
私は「ビールは苦い」と決めつけていたけれど、いざ口にしたら「苦いけど美味しい」に気づき、自然と自分を裏切った。良い裏切りは自分の視野を広げる。
あの時感じた「悲しい」は、年を重ねるたび増える「信じたい気持ち」
でも裏切りに慣れることって、少し怖くて悲しい。
嘘でもいいからずっと信じていたいことがある。どんな結末になったとしても、恋人に好きと言われた瞬間はそうであると信じたい。今がどんなに人生どん底でも、ウルフルズの「笑えれば」を聞く瞬間は必ず上手くいくと信じたい。
あの時感じた「少し悲しい」は、年を重ねることに増える「信じたい気持ち」だということに、私は何となく気づいてしまっていたんだろう。
あのゴールデンウィークから約5年が経ったが、私は未だに大人についてよく分かっていない。でも確実に、もう子どもではない。ずっと曖昧ささの中。
社会人になって金曜日の晩酌が欠かせなくなってきたけれど、いつまでも3つセットのプリンが一番のデザートである。ずっと行ったり来たり。
多分「大人になること」を項目化すれば、数えきれないほどあるのだろう。でも全部に対してチェックが付くことなんてない。残した方が色気があるじゃない。それで良いんじゃない。
ま、あの時はごめんなさいって、父に謝りの電話でもしようか。
大人になるって、きっと、そういうことでしょう?