高校生の頃、よく思っていたことがある。
やりたいことってなんだろう、みんな夢に向かって努力できてすごいな、10代でこれから先一生働く仕事を見つけるなんてできるのだろうか、という問いだ。
高校生の頃の私は勉強ができても、やりたいことが定まらなかった
私の高校は普通より下のレベルで、大学に行くよりは専門学校に進む人が多かった。私はその高校の中ではまだ勉強ができるほうで、学年10位以内をキープし、国公立受験の話も出ていた。
しかし、なかなかやりたいことが定まらなかった。勉強はできても、何に生かしたいか分からない。家はお金がなく、なんとなく大学に行けるような環境ではないことは分かっていた。
それに比べて周りの友達は裕福な家が多く、勉強しなくても行けるような大学や専門学校に進む人たちばかりだ。
あの頃の自分を今眺めてみると、完全に嫉妬である。勉強したり、奨学金を借りなくても純粋に「これがやってみたい」と親に相談したり、進路へのサポートもしてもらってることが、そしてそれを当然のようにしている友達が羨ましく妬ましかった。
自分には勉強しかないと、学年10位以内をキープしていたが将来が見えてなかったので無意味に思えることもあった。その後、よく勉強に利用していた図書館で働きたいと考え、その資格が取れる短大に進んだ。もちろん奨学金と、遠方のため寮暮らしで、仕送りなどはなかった。
短大に入り司書の資格も取得したが、一般企業に就職した
短大時代は本当に人に恵まれ、友達や先輩、サークル、バイト全て充実していた。遊びに忙しく、学生生活で一番の青春と言っても過言ではないくらいだった。それだけ、高校生活は勉強ばかりで地味な生活を送っていた。
親は私が派手になっていくので、進路を心配していたが、しっかり司書資格は取得した。しかし、司書の募集はとても僅かで、給料も安く単身で生活していけるものではなかった。
内情を知った私は、すぐに切り替え、一般企業に就職した。
親元から離れて暮らす生活の自由さを知ってしまった私は、寮があり、興味がある食品会社に勤めた。周りは理系や栄養大学出身の子が多かったので少し文系は片身が狭かったが、真面目にやっていれば頼りにしてくれるし、仕事のやりがいも段々と感じるようになっていった。
ここでも割りと人間関係には恵まれ、良くして貰ったことを思い出す。プライベートを持ち込んで、ゴタゴタしてる先輩もいたが職場ではなるべく皆にフラットで、仕事を淡々とこなすのが肝だと思っている。八方美人に思われていたこともあったかもしれないが、私情を持ち出すと厄介なのだから仕方がない。
今なら分かる。自分で悩んで選んだ「場所」に責任を持つことが大切
そして、私は結婚退職と同時に転職をした。またもや異業種に着いた。
学生時代の接客業のアルバイトの経験から、また対人の仕事がしたいと思って就職したのは、インフラ系の受付だった。お客様サービス係のような存在である。
ここでは、本当にたくさんの経験をした。
私はNHKの「ドキュメント72時間」という番組が好きなのだが、色々な場所から来る沢山のお客様を相手にしていると、あの番組の中に自分がいるような、一端でもその人の人生に関われたような気持ちがしてとても楽しかった。
「お客様は神様」という看板を掲げて文句をまくしたててくる人もいれば、些細なことに深々と感謝を伝えてくれる人もいて、仕事をしながら貴重な人間観察をさせて貰えたと思う。
残念ながらコロナ禍や妊娠が重なり退職してしまったが、自分には接客業は天職に近いものを感じたので、またいつか携わりたい業種だ。今は、子育てが落ち着いたら仕事を始めたいと考えてる。
ここまで長々と職業経歴を見てもらった。もちろん、一つの仕事を長くやり抜く力や経験は大切だと思う。でも、思い切って入った場所でどうにかがんばる力や、その時々の自分が挑戦したいことに向かっていく力も自分の糧になっているんじゃないかなぁと思う。
結果的には、高校生の時の自分が考えていたことと変わらない。
10代で決めた仕事を貫いてもいいし、辞めて他に行ってもいい。人生は一回きり。
でも、自分で悩んで選んだ場所に責任を持つこと。それが大切だと今は思う。