「大人」って何ですか?
きっとこの文章を読み、選考にかけてくださる方々の多くは私よりも「大人」でいられると思います(失礼があったら申し訳ありません)。
いつになったら「大人」になれるのでしょうか。色々な悩みを抱えていますがその中でも、大きく形のないそしてずっとずっと私の中に居座っているのが、いつまでたっても「大人」になれないという悩みです。

大人びた子供だった私は、だんだん周りが追いついてくるのに焦った

私の話をさせていただこうと思います。
私は自由奔放に育ってきました。それでも両親や一緒に暮らしていた祖母のおかげで周りからは「まだ小さいのにしっかりしてるね~」といわれるような、所謂「大人っぽい」、「大人びた」子供でした。
子供ながらにその言葉を聞くと嬉しかったし、だからこそあの頃の自分からみた「大人」と話すことが好きでした。早く大人になりたいと思っていました。今思うと可愛げのない子供だったのかもしれません。
歳を重ねるにつれて周りが追いついてきました。というよりもみんなが年相応の話し方、考え方を持つようになりました。そのころからです。よく分からない焦りが私の中に出てきたのは。

今までしていた振る舞いは、周りから見ると当たり前の礼儀、言動、考え方になり、自分の自信でもありそして一種の個性でもあると思っていた「周囲と比べてより際立つ大人っぽさ」はどんどん、それまではっきりとしていた色を薄くさせていきました。
焦りを感じ、時に劣等感を覚え、そして憧れを感じ、いつの間にか人と関わる時にはいつも「大人だなあ」と感じるフィルターのようなものが分厚く出来上がっていました。

自分の中での「大人」がまだはっきりしないまま、それに対する憧れだけが常に強くなっています。大人になりたくて色んなことをやってみました。
今まで読んだことのなかったジャンルの本、例えばビジネスや生き方について書いた本なんかに手を出してみたり、バイトをして貯めたお金で習い事を始めてみたり、少し高級なものに手を伸ばしてみたりなんかもしました。
でも全部何か違うのです。

同級生と話して、いつも重い気持ちになった私も、もうすぐ22歳になる

そんな私をおいて、どんどん周りは「大人」になっていきます。小さい頃毎日一緒に馬鹿騒ぎしたあの子も、どうしようもなくグレて文字通りの問題児だったあの子も、口を開けば色恋の話ばかりだったあの子も。
人と会うのは大好きです。特に同級生。昔話に花を咲かせ、あの時はと大声で笑いあい、近況報告をしてお互い頑張ろう、また会おうと別れます。
でも帰路で一人になった途端、重く黒い誰かが後ろから覆い被さってくるのです。いつも誰かをおんぶしているような感覚で家に帰ります。
この感情の対象は同年代はもちろん、年下も同様です。サークルになんていったもんなら……。

ここからは言わなくてもわかりますよね。なんだかつらくなってきたのでここで回想は終わりに。ちょっとデリケートなのもあると思います(笑)。
こんな脈絡もない、ごみ溜めから適当に拾ってきたような言葉をただただ並べてこれを書いている私ですが、現在21歳そしてもうすぐ22歳になります。

ある人にとってはまだ22年と思われるかもしれませんが、当事者の自分からしたら22年間も生きてきたことは、本当に、怖いです。そう思うとこんなに「大人」になることへの憧れを書いてきた自分でも、どこかでまだ「子供」でいたいきもち、「大人」になりきれていないことへ少しばかり味を占めている部分があるのかもしれません。

改めて「大人」って何なんでしょうか。どうしたらなれるのでしょうか

改めて「大人」って何なんでしょうか。どうしたら「大人」になれるのでしょうか。
「大人」になれば「諦められるようになる」という回答を見たことがあります。まだこの意味を理解することはできません。マイナスのイメージでしかその言葉を受け取ることができない、言い換えればそれ以外でその言葉を受け入れる器が出来上がっていないのだと思います。
それはきっと私が今後得ていく沢山のものによって作られていくのでしょう。そう思うとなんだか楽しみです。その時の諦めは違った諦めになり、それだけでなく、他の言葉もまた今とは形を変えていきそうだから。

まだまだ未熟者の私から、何とか絞り出された言葉で編んだこの拙い文章をそろそろ終わりにすると同時に、何かしらの形で多くの人に読まれれば嬉しいと素直に、意地を張らず、書こうと思います。
欲を言えば、同じ悩みを抱えている人が肩の荷を降ろすきっかけになればと思います。私自身が最も必要としているものだから。

長くなりましたが最後に、この機会を与えてくださったかがみよかがみ編集部の皆様、読んでくださった皆様に本当に感謝しています。
ありがとうございました。