私には年の離れた兄が2人おり、我が家で初めての女の子だったからか、小さい頃から「かわいいね」という言葉を浴び続けて育った。
小さい頃の写真を見ると、ピンクのワンピースに身を包み、髪の毛はいつもピシッと編み込まれていて、靴下にはフリフリのレース、身の回りにはおままごとやメイク道具のおもちゃ、というように、見た目も行動もすべて「the 女の子」な環境で幼少期を過ごしていた。

幼少期の私は「かわいい女の子になること」になんの疑問もなかった

これだけ聞くと、ただの自慢話だと思われるかもしれない。もちろん「かわいい」という言葉自体は言われたらうれしい言葉である。
実際に、幼少期の夢はディズニープリンセスになることだったし、幼稚園で髪型や靴下を「かわいい」と褒められると、家に帰ってきてから嬉しそうに母に話していたそうだ。
当時の自分は恐らく、かわいい女の子になることになんの疑問もなく、実際に自分がかわいいという自覚もあったのだと思う。しかし、良かれと思って発された「かわいい」は、時に私を締め付けていたのかもしれない。

はじめて違和感を覚えたのは、小学校5年生の時だった。
特にきっかけがあったわけではなかったが、突然かわいい服を着て登校することを嫌がった。今までは、たまに買ってもらえるエンジェルブルーの服を擦り切れるまで着続けていたのに、ある日突然、無地のトレーナーにジーパンというオールユニクロコーデを切望した。
今考えると、当時クラスの男子に「ぶりっ子」とからかわれたのかもしれない。または、反抗期に差し掛かり、「今までのファッションがダサい」とか言って尖りたかっただけなのかもしれない。
真相は分からないが、私はその時「かわいい」という言葉から生まれて初めて逃げた。

進学した女子高は、私の中の女の子の固定観念を見事に破ってくれた

中学校に入ってからは制服があったため、服装でとやかく言われることはなくなった。しかし、服装に制限があることで、かばんやペンケース、髪型などでより個性が浮き彫りとなる環境であった。
さらに、畳みかけるように思春期に突入したことで、今まで仲良しだった男の子たちとの間によく分からない距離感が生じ、なお一層「かわいい」は邪魔になった。私は、悪目立ちするかもしれない要素はすべて排除して「無」でいることに徹していた。
今の私なら、自分の好きなスタイルを貫くことができたかもしれないが、狭い世界しか知らなかった当時の私は、周りの目を気にしてばかりで、いじめられることを恐れ、いかにその集団で浮かないか、それしか考えていなかった。

人生の転機は高校だと思っている。私は女子高へ進学した。今振り返っても、大正解の選択だったと思う。当時の自分を褒めたたえたい。
私が進学した高校は、芯のある凛々しい女の子がたくさん在籍していた。そして「かわいい」女の子だけでなく、「かっこいい」や「美しい」「たくましい」「面白い」などなど、私の中の女の子の固定観念を見事に破ってくれた。
私は、居心地がいいと心から感じる場所をやっと見つけられた気がした。
そうだよね。「女の子はかわいい」なんて、ただの偏見だ。過去のモヤモヤがすっと消えた気がした。

「女の子はこうあるべき」と思っていた呪縛を断ち切ることができた

ここまで聞くと、今の私はどんなにイメチェンしているのだろうとか思われているかもしれない。
結論から言うと、今の私は傍から見たら「綺麗系女子」と「かわいい系女子」の間くらいだと思う。スカートも穿くし、好きな色はピンクだし、見た目に対して「かわいい」と言われたら普通にうれしい。

私は結局、広い世界を見た結果、幼い頃から呪文のように言われていた「かわいい」に自らの意志で戻ったのである。でも、私は「女の子はこうあるべき」という自分に課していた謎の呪縛のようなものを、高校進学をきっかけに断ち切ることができたと考えている。どんな女の子だっていいじゃない。

近年、徐々に男女の固定観念は是正されつつあるが、まだまだ古い思想は世の中に存在し続けている。これから社会に出たら、なお一層「女性」として扱われることが増えていくだろう。
そんな中でも私は、自分で呪縛を解き放ったことを誇りに、時には都合よく「かわいい」を利用し、社会という大海に突き進んでいきたいと思っている。