社会人となり早7年。バレンタインは、ハロウィンよりも目立たなくなったなと感じる。
しかし、ショコラティエが腕を振るった美味しいチョコレートが綺麗にラッピングされ、世に出回る、というのはバレンタインの醍醐味であり胸が躍る。

ただ、「衛生管理」なんてものを社会人になってから気にするようになってしまった。バレンタインとの距離の取り方が学生時代とは変わってしまったのだ。

10数個もらえる友チョコ。どんなものでも食べるようにしていた

バレンタイン全盛期だった10数年前の中高校生の頃。部活に入っていたので、先輩、後輩から仲の良さ関係なく必然的に友チョコがもらえた。
またクラスでもどうやって渡していたか覚えていないが、その時期はお菓子の持ち込みが黙認されており、チョコを手に入れることが出来た。

この時期、デパートの催事場に行くと1箱2~3粒入って1000円ほどもするチョコが並ぶ。スーパーでもお徳用でない限りは1箱500円なんてのもあるが、これもまた多量に渡せないので購入は断念させられる。

しかし、そんな市販品を買わなくても学校に行けば10数個はもらえる。自分からは選べないが、まるで簡易版催事場のようであった。手作りもいろいろとあり、チョコとつくお菓子は全て対象となる。
この時期になると現れる自称ショコラティエ達が、こぞってこの日のために作るのである。
私自身も自称プロであったため、トリュフを作ったこともある。この自称達が作るお菓子達は美味しいものから未完成な味のものまで様々である。無意識のうちに、自分には「女子力」があるかを競う祭典であったとしみじみ思う。

ただ純粋に貰えることは嬉しい。不味くても捨てるのは忍びないので感想を聞かれたときのためにどんなものも食べるようにしていた。
今思うと素手で作ってあげたトリュフ、加熱がされていない半生のカップケーキ。お腹を壊すのではないかなどは考えないで食べていた。また、太ってしまうなんて概念はない。

衛生管理、カロリー…ただただ「美味しい」と思う純粋な気持ちはない

社会人になり、飲食の仕事を一時したために、「素手は菌がついている」など衛生概念を刷り込まれた。潔癖というわけではないが、未加熱のチョコが食べられなくなってしまった。

今は、他人からもらった未加熱で丸まったチョコはどういう経緯で作られたかが分からないので、調理者やお菓子たちには悪いが、食中毒の影響があるのではと心配になってしまって食べられないので、手作りをもらっても家族にあげた。
衛生概念以外にも、アラサーと言われる年齢にもなれば、子どもの頃に一度は夢見る「ロールケーキを恵方巻のように食べる行為」も太るのではないか、コレステロールが上がってしまうなどなど、考えただけで食べられなくなった。

ただただ「美味しい」なんて思う、あの頃の純粋な気持ちはない。衛生管理の必要性、お菓子のカロリーの高さ、自分はまだまだ若いなって思っていても社会に揉まれるたびに大人に近づき知らなければよかった事実を思い知らされる。
「無知とは恥だ」なんて授業中に教授が名言のように言っていたけど、知識を得ることで打ちひしがれることもあるのだなと痛感する。

バレンタインは自分へのご褒美に、高級チョコを食べてもよい日

だが、毎年1回のバレンタインはやってくる。衛生概念はどうも変えられなくなってしまったが、カロリーの概念は変えられる。個人的に美味しいチョコを食べてもよいと言い訳しても許される日がバレンタインだと思っている。大切な人に贈るのもいいが、自分へのご褒美に使うのが一番良いと思っている。
学生よりはまだお金もある。安いチョコだと満足しないなら高級なチョコを少し食べればいい。

ダイエット中?いやいや、このときのために頑張ったと思って高級なチョコをちょっこと食べてやろう。美味しいものを食べる幸せは年齢に関わらず平等なのだ。

バレンタインとの距離の取り方として、これが最適と思っている。