小学生の頃、好きな男の子がいた。彼は近所に住んでいて、空手を習っていて、えりあしがちょっとだけ長かった。

郵便受けにお菓子をねじ込んだ後、名前を書いてないことに気づく

バレンタインの時期になると、毎年スーパーで母に手作りお菓子キットを買ってもらい、作ったものを学校に持って行った。いつも、仲の良い友達にはマフィンやパウンドケーキなどの少し手の込んだお菓子、その他に貰えたらお返しに配る用のクッキーを準備していた。
母に好きな人のことを話すのは恥ずかしかったので、「仲の良い子用」として作ったお菓子を一つ、彼に渡そうと計画していた。
順調に調理が進み、一番綺麗にできたものを、あたかも友達の女の子にあげますよみたいな顔をして、綺麗にラッピングした。

そしてバレンタインデー当日、予定通り友達とお菓子交換をした。
何の変哲もない、普段通りのバレンタイン。でもその年は、ここからが本番だった。

学校からの帰り道、私は自分の家を通過して、彼の住むマンションへ向かった。彼がその時家にいるのかは知らなかった。オートロックの機械の手前、彼の部屋番号の郵便受けに、私は作ったお菓子をねじ込んだ。
そしてくるりと振り返り、そそくさと退散。心臓をバクバク鳴らしながら、足早にマンションから立ち去った。まるで盗みでもした気分だった。
ほっと一息ついたのも束の間、重大なことに気が付いた。プレゼントに自分の名前を書いていなかった。

「郵便受けを開けたら、差出人不明の手作りお菓子が入っていた」なんて、ちょっとしたホラーじゃないか。
やってしまった。でも今更どうにもできない。これはもう、なかったことにしよう。
私は何事もなかったかのように、その後の1ヶ月を過ごした。

ホワイトデー。家の郵便受けに差出人不明の黄色の包みが

3月、ホワイトデーがやってきた。私は2月の出来事を思い出さないようにしながら、再びお菓子交換を楽しんだ。
家に帰り、念の為、郵便受けを開けてみた。すると、小さな箱が目に入った。受け口に無理矢理押し込まれて少し凹んだ、細いリボンのかかった黄色の包み。これは、もしや。
私は小走りで自分の部屋へ行き、コートを着たまま包みを開けた。中には、色とりどりのキャンディーが入っていた。どこにも名前は書かれていなかった。

これは彼からなのか?だとしたら、なぜ無記名のプレゼントが私からだとわかったのか?誰かに見られていたのか?
小さな頭で考えてみても、謎は深まるばかりだった。かといって、本人に聞けるわけでもなく、キャンディーの謎は闇に葬られた。

あのキャンディーの意味は?彼は今どこで何をしてるかな

月日は流れ、社会人になった私は、社会の荒波に揉まれていた。
3月に入り、律儀にバレンタインチョコレートをくれた会社の人に、どんなお菓子を返すべきだろうかと考えていた時、ふと、ネットで「ホワイトデーのお返しの意味」という記事を見つけた。ホワイトデーに何のお菓子をお返しするかによって、相手に対する気持ちがわかる、という内容だった。何の気なしに読んだその記事には、こう書かれていた。
「キャンディーの意味は『あなたが好きです』」
私は瞬時に、あの黄色の包みを思い出した。
彼がこのお返しの意味を知っていたのか、何を思っていたのか、そもそも彼だったのか。その記事を読んだところで、私には何もわからないままだった。

彼が今どこで何をしているか、私は何も知らない。彼は勉強ができたから、きっと良い大学を出て、良い会社に就職したのだろう。
街中がどことなく浮き足立つ季節。まだ冷たい空気にぼんやりと思い出す、甘酸っぱいようなほろ苦いような、淡い記憶。