大人ってなんだろう。
「知らないことを教えてくれる」、「間違っていたら注意し、正しいことを教えてくれる」、幼い頃私が持っていた大人のイメージはこうであった。だからかつての私は両親の言うことも、先生の言うことも素直に聞く「かなり良い子」だったと自負している。
そんな私が大人に疑問を持ち始めたのは10歳の時だった。
辛い時に何度も助けてくれた彼女。なのに親から伝えられたのは悪口
小学校4年生の頃、私に新しい友達が出来た。ここではAちゃんと表記する。
Aちゃんは少し変わった子で、宿題はやらないし、欠席と遅刻が多い子だった。
「親が育児放棄してたんだよね」と本人から聞いたのはそれから10年後くらいだったが、一見だらしなくもいつでも他人を優先してしまう、当時から誰よりも優しい子だった。
別の高校に進学したあとも、学校でうまくいかなかった私の話を聞いてくれ、辛くて学校に行けずにさぼってしまったときは、学校が終わった後にかけつけてくれた。
今でも仲良くしていて、進路に悩んだ時も、転職に悩んでいた時も、辛い時に何度も助けてくれた。
それでも小学生の頃はクラスの優等生から嫌われていた。悪口や当たりの強さに腹が立ちつつも、私はAちゃんとずっと一緒にいた。
けれど、悪口、陰口、噂話は子供に限ったことではないことを知った。小学校5年生の時、保護者の間で彼女の悪口が囁かれるようになったのだ。私の友達にも数人、「Aちゃんをうちに呼んではダメ」「仲良くしてはだめ」と親から仲良くすることを止められている子がいた。
やがて私の母にもAちゃんの悪口が吹き込まれた。「あの子の家はゴミ屋敷らしいよ」「変な子なんでしょ、みんな言ってるよ」と。
私は母に何度も「そんなのは嘘だ」と言った。「すごく優しくていい子なんだからそんなこと言わないで」と。
私が見たことを否定し、知らない大人の話を鵜呑みにする母に絶望した
けれど母は、私にAちゃんと仲良くするのをやめるように言った。「あなたまでダメな子だと思われるから」「一緒にいていじめられたらどうするの?」と。私の話は一切信用してくれなかった。
私が見たことは否定され、よく知らない大人の話を鵜呑みにしてしまう母に、心の底から絶望した。Aちゃんが私を呼びに家に来ると、母は冷たい態度を取っていた。
学校でもAちゃんは避けられることが増えた。「大丈夫、気にしてないよ」と言うAちゃんを見ていて悲しかった。
大人がいじめはだめって言ったんじゃないか。仲間はずれも、悪口も、陰口も。ならこれは何?なぜ誰よりも優しい子が大人達のせいで孤立させられようとしているの?
疑問だらけの中で精一杯出した私の答えは、「大人の言うことなんか聞いてたまるものか」だった。
私はそれ以降、極端に母の言うことを聞かなくなった。母はもう、見本でも正しい人でもなくなった。
一緒に出かけなくなり、門限を守らなくなり、高校時代から大学時代にかけてはもうほとんど口もきかなくなった。母は時々泣いていた。「喋らないし笑わないしロボットみたい。なんで私がこんな目にあわないといけないの」と。
私は何度も言いたかった。「Aちゃんのことを謝ってほしい」と。
でも私が伝えたかったことは10歳の時になにも伝わらなかったから、頑張って伝えようという気持ちはもうどこかに捨ててしまった。
大人ってなに?子どもの頃に思い描いていた大人の世界とは全く違う
大人になってから、虐待や育児放棄を受けた人の話を耳にした。学校にまともに行かせてもらえず、友達とも遊ばせてもらえない、「あの子の家はおかしい」と噂が流れ、馬鹿にされ、ひとりぼっちになってしまった子の話だった。いじめも虐待もこれだけ問題になっているのに、結局異質な人は避けられてしまう。
大人ってなんだろう。
子供同士のいじめのニュースを見ると考えてしまう。それは子供の間だけの話だったのだろうか、と。虐待のニュースを見ると思う。その子を苦しめたのは家だけだっただろうか。
自分が大人になって、子供の頃に思い描いていた大人の世界がまったく違ったことが分かった。陰口、悪口なんて子供以上で、その中でいかに嫌われないように上手く生きていくか。私も綺麗事を並べきれるほど立派には生きれていない。
当時の母もまた、私が上手く生きていけるように、嫌われないように必死だったのかもしれない。
就職してからは母とは仲良くできるようになった。感謝もしているし、冷たすぎた自分の態度を後悔した。
それでもあの時の不信感は、一生消えないと思う。私の母に悪口を吹き込んだ人も、悪口を流していた人たちも、私は絶対に忘れない。
いじめは命を奪う可能性があるのに、いじめに火をつけようとした大人達は自覚のないまま、テレビで流れるいじめのニュースに心を痛めるのだろうか。
あの頃の私に恥じないように、私が思い描いた大人をやろうと思う
この文章をどのように終わらせよう。学生時代の作文なら「私は〇〇なように生きていきたい」と決意表明を綴っただろうが、この件は15年以上がたっても私の中でなにも生み出さないまま留まり続けている。
思い描いていたほど透明でなかった大人の世界でまた、私はこの件を思い出して、考え続けるのだろう。
それでもせめてあの頃の私に恥じないように、精一杯「私が思い描いた大人」をやろうと思う。幼い私が見ていると思って。
だからまず、あの頃のわたしの頭を撫でて、こう声をかける。
「大人に流されないでAちゃんとずっと仲良くしてくれてありがとう。君のおかげで私には今もかけがえのない親友がいるんだよ」と。