初対面の人によく言われる第一印象は「笑顔が素敵」「爽やか」「華やか」「清楚系」、そして「なんでも受け入れてくれそう、やさしそう」。

私は、そこそこの見目で生まれたようで、幼少期から容姿を誰にでも褒められてきた。唯一、父を除いて。

私を認めてくれない父のもとで育ち、人の顔色を察知するようになった

父は、私が思春期に入る前から、自分の容姿に自信を持つことを阻止しようとした。家に飾ってあった私の写真や家族写真は片付けられた。「こんなもの飾っているからうぬぼれるんだ!」と怒りながら。

父にはよく叱られながら育った。「誰にでもヘラヘラするんじゃない」「チャラチャラしてる暇があったら勉強しろ」と。今思えば、それら数多くの叱咤には、平和主義のうえに楽観主義な私が、この男尊女卑の日本社会で生きていくために、外見ではなく中身で勝負できるようにとの願いが込められていたように思う。

なかなか私のことを認めてくれない父のもとで育った私は、いつしか息をするように人の顔色を察知する人間に育った。一瞬でその人の感情のブレを汲み取り、欲しい言葉をかけることが得意になった。

父に認められたい一心で身についたその処世術は、父と同世代やそれより上の年代の男性からやたらウケた。社会人になってからは、もともとの容姿も相まって、セクハラもたくさん受けるようになった。

多少のセクハラでも、それで業務が円滑に進むならと考えて、にこやかな表情を崩さないまま、何度も嫌な気分を味わった。しかし、ある事件がきっかけで、周りに媚びを売りながら生きることを一切やめることにした。

出張先の支社長にホテルの部屋に押し入られ、レイプされそうになった

その事件のことは、もう二度と思い出したくもない。地方出張先で接待が終わった後、出張先の支社長にホテルの部屋に押し入られ、ベッドに押し倒され、キスを強要、服をむりやり脱がされそうになったのだ。

絶体絶命の危機に瀕した状況でパニックになった私は、焦る脳をフル回転させながら、どういうわけか穏便に済ませる方法を探していた。とっさに思いついた断り方が、「私、けっこう高く売れるんですよ、一晩10万。払ってくれますか?」だった。緊張感無くヘラヘラと笑いながら。その方が穏便に済みそうだと思ったから。

内心は、これで「払う」と言われたらどうしよう…イチかバチかの賭けだったが、高額で部下を買うことに引け目を感じたのか、支社長は幸運にも諦めてくれ、部屋を後にした。その時は、あぁよかった、何事もなかったと胸をなでおろした。

しかし翌日、フラッシュバックに苛まれ、身体の震えが止まらなくなった。典型的なPTSD(心的外傷後ストレス障害)である。性的欲求の対象外の男性に迫られることによる恐怖と屈辱で涙が出た。

幼いころから父に叱られてきた内容を思い返した。笑顔を向けると勘違いする人が世の中にはたくさんいることは、昔からよく知っていたはずだ。そして、そんな勘違いを都合よく使って仕事をもらったことも多々あった。そんなことを続けていたから、今回のことが起こったのだ。

己の認識の甘さと、注意不足を猛省した。そして、相手に性愛の感情を芽生えさせる可能性が高い行動は慎もうと、固く誓った。

セクハラやレイプなどの経験を二度としないため、自分と結んだ約束

忌まわしい事件の後日談にも触れておこう。もし、これから同じような目に遭ってしまったら(そんなこと人生で一度もないに越したことはないのだが…)、ぜひ参考にしてほしい。

私はその支社長に会社を辞めてほしいわけではなく、ただ自分の過ちを認め、誠心誠意の謝罪が欲しかった。そのために私がすべきことを知るために、まずは友人に弁護士を紹介してもらった。親身に相談に乗ってくれた弁護士さんには、感謝してもしきれない。

  1. 今後この内容について、社内の人と話す内容はすべて録音すること。
  2. 相手との話し合いの場では、相手よりも高い立場の人に第三者として同席してもらうこと。
  3. 謝罪の場では、されたことをすべて言葉にして相手の口で語らせ、それについての謝罪であることを明確にさせること(もちろん録音)。
  4. 同じ過ちを繰り返さないように、必ず念書を書かせること。念書には具体的に「もし同じことをしたら辞職する」などと書かせること。
  5. 念書とは別に謝罪文を書かせること。念書は会社に提出、謝罪文は私が受け取ること。
  6. 念書と謝罪文はタイピングではなく、直筆で書かせること。押印させること。

以上が、弁護士さんに教えてもらった内容だ。話し合いは複数回にわたり、精神的にかなり消耗したし、顔を合わせることが嫌で嫌で仕方なく、途中感情的になり涙ぐんだこともあった。

それでも、話し合いの末に謝罪文を受け取った時は、「これでようやく解放された、あの忌まわしい夜を精算できた」と清々しさをも覚えた。

もうこんな経験は、二度としたくない。そのために私は、強く、凛として生きていくために、いくつかの約束事を自分と結んだ。仕事とプライベートは分けること。不要な飲み会には行かないこと。セクハラ発言に不用意に笑いかけないこと。そして、自分の意見はまっすぐ伝えること。

鬱陶しい、自意識過剰な女だと思われたってかまわない。フェミニズムを語るとまだまだ疎まれる日本社会だが、私は私のままでまっすぐ生きていこう。