退職すると決めていたが、その意向を伝えるのを先延ばしにしていた
仕事を辞めた。
丁度知り合いの飲食店でアルバイトしないかと誘われて、島ライフ(といっても1週間)を送っている時だった。
季節は冬、ホテルから見える海を見ながらボーッとしていたら休職中の病院から電話がきて、「今、言うのがエモいかもしれない」という馬鹿げた理由で退職意向の話を切り出した。
海を見ながら、今まで曖昧にしてきた退職の話をしている自分を客観的にみると映画みたいだなと感じてしまい、勝手に涙が出てきた。ずる賢く退職を先延ばしして給料を貰っていたのに、最後に泣く自分に嫌気がさした。
私は昨年の4月から新卒ピッチピチやる気満タン看護師として就職したが、それも虚しく11月で散った。
学生時代に患ったうつ病が、看護師になったストレスで再発。その後休職していた。
診断書を発行すれば、病気休暇として処理され、何ヶ月かは給料が支払われる仕組みになっている。貰える額は変わってくるが、働かないで治療に専念できるなら十分な額だ。
私は、休職した11月には辞めると決意していたくせに、ズルズルと働かずに給料を貰うために退職を先延ばしにしていた。
口から出た思いもよらない言葉。看護師になったことを母のせいにした
「そろそろ来れそう?」と言う師長の言葉に、もう戻る気がないのに、戻ろうとしている気はある意向を毎回伝えていた。
3月までに退職して、4月からまた新しいところで働こうと、緩く考えていた。
ある日、母親に「もう辞めるなら病院の資料を捨てなさい」と言われた。勉強会で貰った資料が多く、場所を取っていたのだ。私は何故か怒って、
「それ捨てて、もし私の戻りたい気持ちがゼロになっちゃったらどうするの?お母さんは責任とれるの?」
と叫んでいた。
思ってもいない言葉だった。私に戻りたい気持ちが少しあったらしい。
そもそも、看護学校に行くきっかけになったのは母親の「向いてるんじゃない?」という言葉だった。三姉妹なのに私だけに言ったということは、本当に向いているのかもそれないと思い、看護の世界に飛び込んだ。
私は、自分が看護師になったことは母親の「せい」だと思っていた。
結局母親と話し合い、自分のことを優先的に考えて今の病院は退職した方がいいという方向に決まった。
まだ人生の決心はつかないけど、自分の人生は自分で選択をしていく
私はこの時気づいた。
人生を母親に決めさせているかもしれない。それは母親が悪いのではなく、自分に決心がつかないから。
学校も仕事も、自分で決めないと、何かがあった時に人のせいにするクセがある。最終決定は、自分ひとりで行おう。
その結果が海を見ながらの退職電話である。
1人でいる時に退職の意向を伝えたことは、自分で決心したこととして記憶に残った(最終決定がエモいという理由なのもどうかと思うが)。
その島では新しくカフェも作るらしく、オーナーをやらないかと言われた。
いいなあ島。いいなあカフェ。いいなあオーナー。
あれ、なんで私、看護師の求人情報見てるんだろ。なんで4月から就職できるクリニックとかないかなと探してるんだろ。なんであれほどストレスが溜まる看護師にまたなろうとしてるんだろ。
仕事ってこんなイヤイヤするものなのか?結局人生の決心はつかないままである。