「で、まよはどんな男がいいの?どんな恋愛したいの?」
高校・大学が一緒の腐れ縁の女4人組の飲み会。そのうちの一人がビールを片手に私に話を振った。
2年の浪人を経てやっと晴れて華の大学生になったのに、全く男っ気のなかった私を、彼女なりに心配したのだろう。

私が理想とする恋愛観は「酪農牛的彼女と放牧主的彼氏」

「うーん……そうだな……」
一瞬詰まる私。
「酪農の放牧主みたいな人の下で放牧されたい」と一拍間を開けて答える。みんなの反応を窺う。
あっけにとられた3人の顔には「急にどうした。なに言ってんだ、こいつ」と書いてあった。

「例えば私は酪農牛で、普段は一人で広大な農地を好きなところにいって好きな過ごし方をするの。色んな経験して。で、帰る時間になると、放牧主が待っている牛舎に帰るの。一日の楽しい思い出とか辛い思い出とか疲れでパンパンになった乳房を持って。ミルクを絞られながら『今日はどういう一日だったの~』とか言われながら、聞いて受け止めてほしい。一日のミルクを吐き出して聞いてほしい。そんな恋愛をしたい」

普段は一人でも充実した時間を過ごし、でも受け止めてくれる相手がいる……。自分なりのそんな理想の恋愛観を話したつもりだった。でも3人は「目指すとこ牛かよ!」とか「意味不明」といいながらヒイヒイ笑い転げている。
おかしい、こんなはずじゃなかった。酪農牛的彼女と放牧主的彼氏、そんなにおかしいのだろうか。

世間でいう「一人○○」を私は殆どクリアしている。一人プリクラも、一人映画も、一人回転寿司も、一人バッティングセンターも、一人ラーメンも。なんなら一人旅に初めて行ったのは高校生というデビューの早さだ。

周りを盛り上げて家で溜息をつく毎日。八方美人って自分にはブス

そんな私の「一人○○」が始まったのは、思い返せば小学5年生の頃からだった。
なぜか突如クラスの人気者になった私は、遊びの誘いが毎日ひっきりなしだった。
しかし危機が訪れる。カラオケに誘われるようになったのだ。
当時の私の家はNHK以外のテレビ番組を見ないルールがあったため、流行曲を全く知らなかった。そのため、初めて友達に連れられて行ったカラオケでは、歌う曲がなかった。
挙句の果てに和田アキ子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」を熱唱した。そんな渋い選曲が逆に友達の笑いを誘い、クラスでカラオケブームが巻き起こったのだった。
やばいこのままでは飽きられる、と危機感を抱いた私は、友達から教えてもらった流行曲を一人カラオケで練習することにした。そして、ナニコレ楽しいと、一人カラオケにはまった。
世間で一人カラオケがブームになる、ざっと10年は昔のことだった。

中学に入り、私は相変わらず人気者、というかお調子者であった。
東にくよくよしている友あれば、行って自分の失敗トークで笑わせ、西に失恋した友あれば、一緒にHYのNAOを熱唱する、というような感じだ。
自分の言ったこと・したことで、周りが笑い雰囲気が明るくなるのは嬉しかった。人間関係の中心にいる自分に酔っていたのだ。
しかし段々いじられキャラがエスカレートし、誰に対しても嫌われないようにそつなくこなし、皆に合わせる八方美人になるにつれ、私は笑顔の裏でどんどん疲弊していった。一日笑顔で明るく振る舞った後、家に帰ると深く溜息をついて「ああ疲れた」と呟く毎日であった。
そして気づいた。八方美人って多分、自分にだけはブスなのだ。

「alone」と「lonely」の違いを知り、一人○○は加速

そんな疲れている私を救ったのが、一人の時間だった。一人カラオケや昔からの趣味である読書に耽る自分一人の時間である。
友達は大好きだし、みんなと一緒にいる時間も大切。そしてみんなから無視される「独りぼっち」は絶対に嫌なはずなのに、なぜ一人カラオケや読書をしている時間はこんなにもほっとするのだろう、と疑問に思った。

その謎が解明したのが、高校に進学して受けた英語の授業だ。
「一人でいること」を英語では「alone」や「lonely」と訳す。しかし、「alone」と「lonely」では細かいニュアンスの違いがある。
単純に周りに誰もいない一人のことをさすのが「alone」。寂しくて孤独、可哀そうな状況にいる一人のことを「lonely」と使い分けるのだ。
一人カラオケも読書も、一人でやるものイコール「alone」だが、それは寂しくて孤独、可哀そうな体験イコール「lonely」では全くなかった。むしろ自分と向き合い自分の内面を深化させていく、大切で貴重な時間なのだ。

今、自分は一人でいる状況だけれども帰るべき場所がある、家族や友人、親戚など温かく受け止めてくれる人たちがいる、と心の底から信頼できていれば、人は一人でもしゃんと立ち、しゃんと呼吸をすることができるのだ。

「alone」と「lonely」の違いを知り、「八方美人は自分にはブス」に気づいてから、私の一人○○は加速している。楽しいが「逞しすぎるとモテないぞ」と私の極少なく残る古風な部分が囁く。
そんな囁きを無視して、今日は一人ラーメンに舌鼓を打つ。
そんな私が、放牧主が見つかったかどうかは、皆さんのご想像にお任せします。