私は今、マッチングアプリをやっている。友達でやっている子がいて以前から興味があり、やってみることにしたのだ。
その中で、会ったことはないが連絡だけとっている大学生がいる。時々電話もするのだが、先日電話をした時にお金にまつわる話をされ、思うことがあったのだ。
アプリでマッチした裕福な彼は、親名義のカードを彼女に貸していた
その大学生は実家が裕福で、ただ一人暮らしをしたいという理由で、する必要もないのに実家の近くで一人暮らしをし、親からの金銭的援助がある関係でバイトもしていないという。
ここまではまあ普通である。その後も話は続く。
彼がアプリで女性とマッチして、一人暮らしであると言うと、相手の女性は大変でしょ、などと言うそうなのだ。
大学生の一人暮らし。相手がそう反応するのも普通だ。だが、実家が裕福であると伝えると相手の反応が目に見えて変わるらしい。
ちなみに、この裕福であるという話を、いつも彼はマッチして序盤でするという。
また、彼は裕福であるが故に、親名義の使っていないクレジットカードをこれまで女性と付き合う度に、好きに使っていい、と貸していたらしいのだ。受け取った女性たちはすぐにカードを平気で使い、そういう人とはすぐに別れたという話をしていた。
ひとしきりこんな話を聞いた後、私は不思議に思ったのだ。私がその話を聞いたのはその時が初めてで、マッチしてから数週間は経っていた。
それを彼に言ったら、彼は私には他の女性と違うものを感じて言わなかったのだと言った。その直後、彼から「お金に困ったら言って」とか「欲しいものないの」などと言われたのだが、困ってもないし本当に欲しいものは自分で買うよ、と伝えた。
彼の話を聞いて感じたのは「人はお金で変わる」ということだった
はっきり言って彼の話が事実であるという保証などどこにもない。身元の知らないどこかの誰か。LINEで繋がっているだけだ。正直、虚言癖なのかと思ったりもした。
ここまで読んでツッコミを入れたい所も読んでいる人にはたくさんあると思うが、今回はそれは置いておいて彼の話について考えたい。事実であると仮定して。
まず、他人のカードを好きに使っていいと渡されて、本当に使う人がいることに驚いた。今までそういう経験がないから分からないが、渡されても正直困るような気がする。
自分のお金でないのに好きに使うことに罪悪感というか申し訳なさというか、そういったものは感じないのだろうか。感じないから使うのだとは思うが。
また、人はお金で変わるものなのだなとも思った。確かに私は電話口で、欲しいものは自分で買うと言ったが、極端な話、目の前にカードなり大金なりをバンと置かれても同じことが言えるのだろうかと疑問に思ったのだ。
電話口である意味空想のような感じで、話半分で聞いていたからそう返事出来たが、実際はどうなのだろうと。その時にならなければ分からないが。
彼の少しばかり奇妙な話は、自分の「当たり前」に水を差してくれた
大人になって、会社に勤め給料をもらい、使えるお金が増えて、お金があることで選択肢が増えると実感することは何度もある。何かをする上でお金が全てではないが、その比重は大きいとも感じる。
だけれども、お金に振り回されたくはないし、正しい使い方をしたいと思う。人が育ってきた環境によって、お金に対する考え方は当然異なるし、それは仕方のないことなのだが、彼から聞いた話に対して違和感を感じることの出来た自分の感覚というのはきっと正しいものなのだと思えた。
比較対象がなければ、人は自分の持つもののありがたみにはあまり気づかない。それしか知らないから、比較する必要がないし、真の価値を知ることもないからだ。
皮肉ではあるが、彼の少しばかり奇妙な話が、自分の今までの当たり前というものに水を差してくれたのだ。だから気づくことが出来た。
そういられるのも親の教育のおかげであるから、親に感謝したいし、自分で稼いだお金で欲しいものを手に入れる、という軸をブラさずに今後も生きていきたいと思う。