「大人は自分勝手だ」
小さい頃から両親以外の大人には鉄の、いや鋼の壁を設けていた。ただの人見知りであればいいのだが、こりゃまた考えが可愛くないものだった。
この世は大人の都合のいいように出来ており、大人自身のその場がOKならそれでよしといったような、大人の思うがままな世界に見えていた。だから、「お嬢ちゃんおいで!」と折角楽しそうなイベント等で声を掛けられても、その場しのぎの誘いに乗るもんかと絶対拒否していたし、親からすればビッグイベントの七五三でもなんで初めて会った人に笑わされなければならないんだ、今日限りであってこの場を乗り切れば終わりのくせに、というのが伝わってくるかのように
写真の中の私はムスッとしている。

「大人なんて嫌い」だった私が見つけた「好きな大人」

小学生になっても、担任の先生と目が合わないように出来るだけ避けて過ごしていた。
3年生に上がった頃だった。2年生の1年間、担任をしてくれたA先生はクラスどころか学年も変わり校舎も違い、私との関係がなくなっていた。
それにも関わらずだ。「○○(名前)!おはよ~!!」とすれ違うたびに声を掛けてくる。
あの大人が、無関係になり関わる意味なんてない子どもにわざわざそんなことをするとは思ってもいなかった。そのため私は軽く混乱した。

初めの方は微笑みでかわしていた。しかしそれが3年生、4年生……といつまでたってもそれが続くもんだから正直戸惑っていたが、さすがの私も少しずつ心を開いていったのだ。
私が家族以外に初めて壁をなくした大人だ。鋼は鉄よりも強度はあるが粘り強さが弱いものらしい。そんな私の壁を知っていたかのように、A先生は「先生のことを避けていた可愛らしくない子」のことを卒業するまでずっと粘り強く声を掛けてくれ、卒業後もずっと気に掛けてくれていたのだ。

「こんな大人になる」
私は大人に向けて歩む上で、重要な光を見つけた。

社会に出て目の当たりにした現実。「大人」という言葉に苦しめられた

今思えば大人への理想が高かったのだと思う。
普段料理をしないアラフォーの方が「うどんくらいは茹でれる?」と目上の人に聞かれていたところを見たとき、私は衝撃と同時に困惑した。
あぁ大人というものは私の思っている大人ではない。大人に期待してはダメなんだ、そう思った。
大人とは何だろう。大人はもっと大人だと思っていた。社会人になり、改めて「大人」の定義について考えると共に様々な大人がいるなと再確認した。

「多様性」という流行りのワードがしっくりくるのかもしれない。私も「今の時代、多様性だから」と何度か耳にしてきた。しかしそれと同じように「大人として〜」という言葉も聞いてきた。「多様性」と言ったり「大人として」と言ったり、緩めてみたり縛ってみたり訳が分からない。
さらに、厄介なことに私も含め人によって2つのワードを感じる瞬間は違う。そしてそれを上手く丸める言葉が「臨機応変」という言葉だ。都合の良い言葉だなと思った。
あちこちに揺れ動く「大人」の定義。しかし私には目指すべき光がしっかりとある。私はA先生との出会いがなければ路頭に迷っていたと思う。

私は大人に期待しないように、と唱えるようになった。それでも幼い頃感じていた大人の思い通りの世界観というのは壊れていない。むしろ「臨機応変」という言葉に振りまわされて嫌悪感は増した。
幼い頃と変わらないひねくれた考えの持ち主だ。

もっと日差しに近づきたい、今の自分を見つめて、つい呟いた言葉

と、人のことを言いながら私も年齢的には大人だ。今、私はどんな大人だろうか。
人のことを客観的に見るのは簡単だが、自分のことを客観的に見るのは難しい。あの頃嫌っていた大人に私も寄っていっているのかもしれない。自分に余裕も自信もないからだ。
かと言ってあの頃の私に全身を嫌われたくはない。私も少し前まで先生をしていた。

あの頃嫌っていた大人にならないように、そして私がA先生からもらったものを今の子どもたちにも与えられるように、少しずつ寄り添っていくことを肝に銘じて。必死にもがいたが、あの頃の私は今の私をちゃんと受け入れてくれるのだろうか。

「その場しのぎまみれの大人にはならない、むしろ大人になんかなりたくない」
そう思っていた私。でも光が照らしてくれている今は、以前より力を抜いて歩める。もがいている間に日差しの後光が増したような気がする。
それは言うなれば日差しを浴びて光を目指した結果、筍が竹になり筍の時よりも遥かに光に近づいた証ではないだろうか。そうあってほしい。

それを思うと「ああ、いつの間にか大人になってるのかも」と呟やかずにはいられなかった。