3年前、小さい頃から可愛がってくれていた大叔母が亡くなった。
その頃、実家を離れ、内定をもらった会社でアルバイトとして働いていた私は、お葬式に出られなかった。

孫のように可愛がってくれていた大叔母は、気付くとベッドの上にいた

祖母のお姉さんであり、実家の目の前に住んでいた大叔母。彼女には子どもも孫もいなかったため、小さい頃から孫のようにずっと可愛がってくれた。
ほぼ毎日会っていたし、お祭りの日は浴衣を着つけてもらった。お年玉もたくさんもらった。運動会や年明けの家族での食事会にもいて、私も第三のおばあちゃんのように思っていた。

90歳を過ぎてもバスで踊りの稽古に通うほど、ずっと元気だった。
進学のために県外に出てから会うことがほとんどなくなっていたとき、母から大叔母の調子が良くないと聞いた。末期のガンだという。
成人式の日、帰省していた私は、振袖を着て普段はあまりしない化粧もしてもらい、大叔母に見せに行った。
大叔母は痩せていて、ベッドの上にいた。
キツそうな身体を起こしながら「綺麗ねえ」と優しい笑顔で言ってくれた。
これが最後の会話になった。

成人式からわずか1ヶ月。届いた訃報に帰るべきか悩んだ

2月に入り、私は内定をもらっていた県外の会社に早期就職としてアルバイトで働き出した。
少し特殊な業界のため、2月から3月にかけてが最も多忙な時期になる。
そんな中、届いた訃報。直ぐにでも帰りたかった。
しかしながら、アルバイトとはいえ多忙期で先輩たちが残業しているのに「大叔母が亡くなったので帰らせてください」と言っていいのか、何度も悩んだ。
悩んでいる時、会社の先輩の一言が聞こえてきた。
「私はおばあちゃんのお葬式に出ていない」
仕事上、冠婚葬祭などに出席できることが少ないという話をしていたらしく、長年勤めている先輩の言葉だった。
少し自慢げにも聞こえたその言葉は、それほど仕事に打ち込んできたということだったのだろうか。
今は、家族や親族との付き合い方は人それぞれだと思えるが、悩んでいた私にはその言葉が決定打となり、大叔母のお葬式に行くことを諦めた。
「大叔母も私が頑張ることを応援してくれているはず」と何度も何度も自分に言い聞かせた。

「葬式に2度目はない」の言葉は、今でもずっと頭に残っている

大叔母のお葬式に出ない選択をし、ずっと、これで正しかったと言い聞かせているが、その反面で強く意識するようになった言葉がある。
テレビで見た「葬式は、亡くなった人との最後の別れの機会。2度目はない」という言葉だ。

たしか、田中角栄さんの言葉として紹介されていた気がする。
いつ見たのか何の番組だったのかは覚えていないが、その言葉だけ強く心に残っていた。
この言葉を覚えていたにもかかわらず、お葬式に出なかった。
自分の選択が正しかったと思いたいから、何度も自分に「大叔母も応援してくれている」と言い聞かせた。
このことを後悔しながら、今は「2度目はない」と言い聞かせている。