「私には、ニートの生活も本当に向いている」
姉と姪と3人で公園へ散歩に行って、一人で無心になってブランコを漕ぎながら、ふとそう思った。
ブランコで、体が地面とおよそ並行になるまで漕ぐと、一瞬だけ視界が空だけになる。真っ青な空の中に、美しい造形の雲がぷかぷかと浮かぶ。その時私は、地球と宇宙の真ん中の、どこでもないところで、この世界を漂っている。私は自由だ。
27年の人生の中で、何者でもなかった時期が3回ある。
1回目は、18歳浪人生。2回目は、24歳留学準備。3回目の現在は、27歳ニート。
二度あることは三度あるとはよく言ったもので、しかも3回目は超ド級である。自分的ダメージは、今回が1番である。
大学院を退学し、恐れていたニートになった。今は何の目標もない
2021年の2月から大学院を休学し、2022年の1月末に退学届けが受理され、これを書いている数日前には、私は大学院生としての効力を失ってしまった。
恐れていた「ニート」の文字が、朝起きた時から夜寝る時まで、ずっと頭の中で電光掲示板のようにぐるぐると、その事実を私に伝えてくれている。
浪人の時も、留学準備をしていた時も、今よりかは全然マシだった。目標があるということは、やることがあるということだ。浪人の時は、勉強と楽器の練習をしていればよかったし、留学準備の時は練習とドイツ語の勉強と、留学資金の足しにするためのバイトさえしていればよかった。
しかし今は、なんの目標もない。
去年からメンタルの調子が悪いのだから、と開き直ることもできるけれど、さすがに27歳でそう簡単には開き直れない。というか、そんな性格だったらメンタルに不調をきたさないはずだ。
去年の6月から通院し始めたメンタルクリニックの先生によると、「チャンスが来ても、あと1、2回は見逃した方がいいかも」と言われている。
通院開始から半年が経って、メンタルの状況は凪と嵐を繰り返している。それでも明らかに快方には向かっている。「体力だけはなんぼあってもいいですからね」と言う先生の勧めで、去年の秋から通い始めたスポーツジムのおかげで、体力と筋力もかなり回復の兆しがある。
そして体力が戻ってくると焦る私は、すぐ行動に移そうとしてまた体調を崩す。自分でも、もう少しゆっくりした方がいいとわかりつつ、それでも人生のコマを一つでも進めたくて、ゆっくり始めている就職活動は、見事なほど難航している。
音楽家になるには十分な学歴でも、見事なほど難航している就職活動
音楽家になるには十分な学歴も、他業種にかかれば、ゴミのようにでも見えるのだろうか。
近頃、自己愛が急上昇している私にとっては、こんなに賢くて、こんなに真面目で、こんなに働き者なのに、なんで採用しないのか甚だ疑問である。世の中、見る目がない人間だらけである、という私は、バイトをする気力が湧かずに、ニート生活を満喫している。
春から社会人になる弟は、私がニート自虐をしていると「なんかしたらいいやん」と言ってくる。そしてその度に、「なんもしてない」わけでもないねんけどな、と思う。
朝は好きな時間に起きて、朝ドラと夜のドラマで曜日感覚を把握し、週5でジムに通い、姪と遊び、友達と遊び、たまに楽器を練習し、文章を書く練習をし、月1で御朱印集めをし、稀にドイツ語の勉強をし、読書し、時々気まぐれに父の会社を手伝い、婚活と就活を同時進行している。
ほら、何もしてないわけじゃないねんで?
私は自由だ。このニート生活を楽しみながら、生き抜いてやる
今は大好きなお洋服ブランドの販売職と、音楽フェスティバルの事務職に、履歴書を送っている。書類審査の結果はもう少し先になるそうなので、それまではこのニート生活を楽しみたいと思う。
もし、それでどこかに採用されれば春から新生活が始まり、決まらなければ、適当なアルバイトを週2くらいからならやってもいいかなと思っている。それでゆっくりまた音楽家になることを目標にするのも、アリだ。
私は自由だ。私の人生がどんなものであろうと、誰にも関係ない。死ぬまで生き抜いてやる。