私の両足裏には、それぞれ中指の付け根あたりに硬くなったタコがかれこれ8年ほど鎮座し続けている。原因は私の人生初めてのアルバイトだ。

高校3年生の2月。
卒業を間近に控えた私たちの話題は、一人暮らしいいなーとか、バイト何するの?など、春からの新生活にまつわるものばかりだった。クラスメイトの1人が言った。
「もぴはバイト先、ミスドとかのイメージ!根拠ないけど、もぴが作るドーナツきっと美味しいと思う!(笑)」
そうなのか、私はミスドのイメージなのか。特にお菓子作りが趣味でもないけど、私が作ると美味しそうに感じるのかなぁって、それ食いしん坊なイメージ!?なんて考えながら、私は、
「そうかなー?それじゃミスドも候補に挙げとこうかなぁ」
と冗談ぽく返した。

思いがけない提案はあっという間に進み、和菓子屋の販売員に

私は地元の短大の夜間部に進学することが決まっていたため、昼間どこでアルバイトをして学費を稼ごうか、求人情報誌やネットで求人を探す毎日だった。そんな日々が続く中、3月に入り、短大の入学手続きに行った時のこと。手続きの手伝いをしていた一人の女の先輩に話しかけられた。
「あれ?〇〇高校で生徒会してた子だよね?私も夜間部だから後輩になるね!よろしく」
「はいそうです!そうなんですね!春からよろしくお願いします!」

その先輩は私と同じ高校だったらしく、気さくに話しかけてくれた。緊張も少し解け、知っている人が周りにいなかった分、先輩が話しかけてくれたことが嬉しくて、ほっとしてしまった。先輩は続けて言う。
「ねえ、もうバイトとか決めてる?」
「いえ、まだ決めてないです。色々と迷ってて……」
「それじゃあさ、良かったら私と一緒に働かない?」
「え!?それじゃあ、とりあえずお話だけ……」

話しかけられて嬉しかった高揚感と思いがけない提案に気持ちがふわふわしていた私は、あれよあれよと先輩に話を進められ、言われるがままに履歴書の準備をし、面接当日にそのまま採用され、あっという間にその先輩と共に4月からアルバイトを始めることになった。
それは駅ビル地下にある、こぢんまりとした和菓子屋さんの販売員だった。

お菓子の種類、言葉遣い、身なり。先輩からの注意の嵐が吹き荒れた

和菓子を販売するので、アルバイト初日は取り扱うお菓子や詰め合わせに使う箱の種類について説明を受け、それをひたすらメモに取った。
今までその和菓子店でお菓子を買ったことも、食べたこともなかった私は見るものすべてが初めましてのお菓子ばかり。それに加え、ここでは和菓子の他に洋菓子も取り扱いがあり、覚えるべき種類の多さに絶望した。
また、接客業のため「お会計は〇円になります、じゃなくて〇円でございます、と言うこと」や「髪は必ず一つにまとめて、頭巾の中に綺麗にしまうこと」など、言葉遣いや身なりについてもたくさん指導が入った。
特に言葉遣いでは自分のこれまでの癖を直すのに時間がかかり、何度も先輩から注意された。初対面の頃の優しかった先輩の面影はいずこ……。
先輩からの注意の嵐が吹き荒れた日は「どうして大して知らない先輩と一緒に働くって言っちゃったんだろう……」と心が折れて、辞めてしまいたくなる日もあった。

そんな私だったけれど、3か月ほど経つと仕事にも慣れ、一人で店番を任されることも多くなり、だんだん接客の楽しさが分かるようになってきた。
そして、今までは自分の仕事を覚えることで精一杯だったから気付かなかったけれど、この和菓子店には様々なお客様がここのお菓子を求めて来店されることに気付いた。

「結婚内祝い用なので、熨斗もかけてください。よろしくお願いします」
と洋菓子の詰め合わせを30箱注文された、微笑みあう幸せそうな新婚さん。
「これ手土産用なんだけど、いくら?急いでるから早くしてね」
とショーケースを指でカチカチ叩き、何度も腕時計を見る、忙しそうなサラリーマンの男性。
「法要で使いたいから最中も入れてほしいのだけど、どれがいいかしら?」
と私に法事用のお菓子の詰め合わせ箱を尋ねられ、ご注文されたご婦人。
「お姉さん、このお菓子、ください」
とお煎餅と200円を差し出した、スイミングスクール帰りの小学生くらいの女の子。

「ふくふく笑うあなたがくれたから」。ご婦人の一言が嬉しくて温かい

お菓子を求めて来店されるお客様の慶事や弔事はもちろん、お客様の日常にも私が販売したお菓子たちがささやかな彩りを添えていることに気付いて、和菓子の販売員として誇らしい気分になったし、自分で作ったものじゃないけどここの和菓子がとてもかわいく、大切に思えた。

そしてお客様の中でも特に印象に残っている方がいる。それは月に一度は必ず来店される年配のご婦人だ。
そのご婦人は「夫が好きだから」と栗のお饅頭をいつも購入して帰られるのだけど、その日は私が新商品の桜のお饅頭を試食で配っている日だった。
「いつもありがとうございます、よろしければ新商品の試食です」
「あら、ありがとう。いただきますね」
ご婦人はぱくりと一口。顔をほころばせてこう言った。
「まあ、美味しいわね。ふくふく笑うあなたがくれたから、もっと美味しいわ、ふふ」
ご婦人はいつもの栗のお饅頭2つに、桜のお饅頭も追加で2つ購入してくださった。お世辞でも、「あなたがくれたから」の一言が温かくて、こそばゆいけど嬉しかった。
ご婦人が帰られた後、先輩にこの出来事を話すと、それはよかったね、の後に続けてこう言った。
「もぴちゃんの笑顔、ほんとにいいよね。だから私もバイト誘ったもん、悪い子じゃないだろうなーって」

バイトを始めてからはいつも注意ばかりだった先輩からそんな言葉が聞けると思っていなくて、驚いた。
目をまん丸にした私に「もぴちゃん、鳩みたいだよ」と先輩は笑った。
高校のクラスメイトの言っていた意味が少しだけ分かった気がした。バイト先はミスドじゃなかったけど。
その日から、私はこれまで以上にこの和菓子店でのアルバイトが好きになった。

足裏に誕生したしぶといタコも、ボロボロなメモ帳も私の宝物

9時から17時まで約8時間働き、その後短大に向かうという生活を2年間続けた。
8時間ずっと立ちっぱなしの和菓子店での仕事は思った以上に大変で、アルバイトを卒業するころには足裏にしぶといタコが誕生してしまっていた。
お会計を間違えてしまったり、商品を渡しそびれて走って駅までお客様を追いかけたり、苦い思い出もたくさんある。
だけど、正しい言葉遣いや身だしなみについて教えてくれる先輩たちや、このお店のファンであるたくさんのお客様に囲まれて、毎日楽しく仕事ができた。私の初めてのアルバイト先がこの和菓子屋さんでよかったなと、心から思う。
今は接客業とは異なる仕事に就いているけれど、私は人と関わることが好きだったんだなと感じる2年間だった。8年経った今でもアルバイトで使っていた真っ黒でボロボロなメモ帳は大事にとってある、私の宝物だ。

なんだかここまで書いてみると足裏のタコもかわいく思えてきた。ぽこっと出っ張ったタコも、アルバイトを2年間頑張った私の勲章にだんだんと見えてくるから不思議だ。
今日は特に乾燥するから、しっかりと足裏にもクリームを塗って、もみもみとマッサージをして、絹の五本指ソックスを履いて寝よう。
足裏のタコを愛でながら、そうして今日も仕事を頑張った自分を労おう。