この角度がいいだろうか。それともここをアップにして……。
スマートフォンでの写真撮影、これが私のひとり時間の過ごし方だ。
多くの情報が否が応にも舞い込んでくるこの世界で、ひとりになれる静かな時間は貴重なものだ。

写真を撮ってSNSにアップ。ひとり時間も周りとの関係を断たない

この時間を「寂しい」と感じる人もいるだろう。「何をしたらいいかわからない」という人もいるだろう。
私は、ひとり時間というものは、日々の喧騒の中では気がつかないような小さな発見をさせてくれるものであると思う。
だから、その過ごし方はなにをしたっていいのだ。

私はスマートフォン片手に、日常のものからちょっとしたお出かけまで、たくさんの写真を撮る。その一部はSNSにアップしたり、仲の良い人たちに送って反応を見る。
私はひとり時間を過ごしつつも、完全に周りとの関係を断たないのだ。

しかし、例えばひとりで行った水族館のくらげのゆらめき。例えばゆっくり淹れたコーヒーと近所のケーキ屋さんのガトーショコラ。道端に咲いた椿の花。飛行機雲が映える夕焼け空。
こんな素敵なものたちと向き合い、一瞬を切り取るその時間だけは私のものだ。そしてそれを大好きな見て欲しい人たちにシェアをさせていただく。同じ気持ちを味わってもらえたら嬉しいと思うから。

ひとり時間は恥ずかしくない。目の前のことに集中して堪能すればいい

ひとり時間、というとインドアなイメージもあるのではないだろうか。私はどちらでも良いと思う。インドアに代表されるように読書を楽しんだり、お菓子作りをしたりしてもいいし、アウトドアであればスポーツや外出に取り組んでも良いだろう。
ただ自分が楽しめれば、それでいいと思う。

中にはひとりで外食をしたり、出かけたりすることを恥ずかしいと笑ったり、笑われるのではないかと不安になる人もいると思う。私も以前はそうだった。
でも周りは、思ったより自分のことを見ていない。むしろ自分は目の前のことに集中して、その時間を堪能すればいいと気がついたのは、社会人になってからだった。

学生の頃は、誰かと何かをしていないとおかしい、ハブられているというイメージが強く、うまくグループに馴染めずいつもひとりで学校生活を送っていた私には、とても辛い価値観が蔓延る世界だった。
必ず誰かと一緒にいて、その考えに必ず同意しなければならず、時間を縛られる。むしろそのように振る舞えない人は変わり者とされ、団体行動の場面で最低な思いをすることになる。そんなトラウマがある人も多いのではないだろうか。

他者からの刺激と自分のチャンネルを調節し、自分時間を作る

社会に出てから、この世にはなんともまあ色々な人がいることか、と大変驚いた。自分が良いように自己表現をおこない、それが社会で評価されていたり、他の人と一方抜きん出た人が評価されたり。その衝撃から、自分は自分だから……、そう思えるようになった。
もちろん場所によっては、学生時代のような他者との関わり方が強く残っているところもある。そのようなところにいる時こそ、私はバランスを取るためにひとり時間を積極的に作るべきだと思う。

私は他者と繋がる時間も欲しい。他者から刺激も受けたいし、与えたいと思う。それが自分のキャパシティを越えないように、うまくチャンネルを調節しては、自分時間を作るのだ。
ひとり時間は絶対にひとりで完結させなくてはならないものではない。自分がひとりで五感を震わせる時間を確保すること、これが大切であり、自分がする目の前のことにただじっと集中することが必要不可欠だ。
この世の中、マインドフルネスも声高に叫ばれているが、このひとり時間こそ最高のマインドフルネスではないか、と私は考えている。

さて、先日買ってきたブルーマウンテンブレンドをハンドドリップで淹れるとするか。