もし今、もう一度あの子に会えたなら。
連絡先がわからず、そんなことを願ってしまう友人が私には1人いる。
あれからどんな日々を送って、今どんなことをやっているのか。
そして、今はどんな本を読んでいるのか、ゆっくり話したい。
私以上に本好きな彼女と、少しずつ昼休みを一緒に過ごす日が増えた
小学校の3年生くらいだっただろうか。
ある転校生の女の子と同じクラスになった。
休み時間には大勢のクラスメイトで男女入り混じって遊ぶこともあったが、彼女は本が好きで、昼休みに教室で本を読んでいることも多かった。
私もそのときから本が好きな子供だったけれど、彼女は私以上に本好きだった印象が残っている。
細かいきっかけはもう忘れてしまったけれど、そんな彼女が気になって、あるときからちょっとずつ昼休みを一緒に過ごす日が増えた。
毎日ではなかった。
それでも時々、ふたりきりで教室で過ごした穏やかな時間。
そんな時間を大人になった今、すごく懐かしく思う。
当時、私の通う小学校では、お昼ご飯は給食ではなくお弁当だった。
家から持ってきたお弁当を食べ終えるや否や、お昼休み早々に教室の外に飛び出していくクラスメイトが沢山いる中で、彼女はゆっくりお弁当を食べてからそのまま教室で本を読んで過ごす日も多かった。
本を読んだり、なんでもない話もしたりしつつ、私と彼女は度々一緒に過ごすようになった。
そういえば、彼女のお弁当のおかずのハンバーグをおいしそうだと言ったら、分けてくれたことまであったのを思い出した。
彼女はそこまで気にしていなかったようにも思うが、今思い返すとお弁当のおかずをもらうなんて、さすがにちょっと図々しかったような気もする。今更ながらそんな能天気な小学生の頃の自分を反省してみたりする。
年賀状を送りそびれた翌年、改めて出した彼女への年賀状は宛先不明に
そんな風に一緒に過ごした小学校を卒業後、それぞれ別の中学に進んだ。
彼女はその後、引っ越しもしていたが、高校卒業くらいまでは年賀状をやり取りしていたので、何となくお互いの近況を知ることができた。
しかし、あるときを境に私は、彼女との年賀状という形の唯一の連絡手段を失ってしまった。
確実な理由は思い出せないのだが、たしか大学受験の年を挟み、年末年始は直前の追い込みに専念しようと、私が年賀状を送ることのできなかった年があったからだと思う。
無事大学入学を果たした翌年に、改めて彼女に出した年賀状は、宛先不明のハンコが押されて自宅の郵便ポストに戻っていた。
年賀状をやり取りすること自体減ってきた私たちの年代で、一度相手が返して来ないようであれば次の年は送らない。そんな判断がざらにあるのが、年賀状事情だと思う。
きっと高校卒業後、次の進路に向けて、様々な変化がある中で再び引っ越してしまったのかもしれない。
そうして、彼女との連絡手段が絶たれてしまったことに気付いた時にはもう、連絡の取りようがない状態となってしまった。
クラス会でも再会できず、彼女との糸は今も切れたまま
その後迎えた20歳の成人式の日。
夕方に小学校6年生のときのクラス会があり、顔を出した。
懐かしい顔ばかりで楽しかったけれど、そこに同じクラスにいたはずの彼女の姿はなかった。
クラスメイトの大半がほとんど同じ中学に進学していった中、それぞれ別の中学に進んだのは、私と彼女含め数人のみ。
クラス会に行く道すがら、もしかしたら彼女と会えるんじゃないか、もしかしたら連絡先を知る友人がいるんじゃないか、と淡い望みを抱いていたけれど、彼女が中学進学後に連絡を取っていたクラスメイトはそう多くなかったようで、その期待は見事に打ち砕かれてしまった。
私はそこで改めて、無意識に切ってしまった彼女との間にあった細いつながりの糸を思って、とても悲しくなった。
あくまで、小学生の頃のイメージだからもちろん変化はあるだろうが、当時の彼女を思い返すと、なかなかSNSを利用しているような姿が思い描けない……。
たしか小学校6年生の当時、携帯が普及し始める中、卒業までクラスでキッズ携帯を含めて携帯を持っていなかったのは、私と彼女くらいだった気がする。
それでも、多種多様なSNSが盛んな今ならば、どこかで連絡は取れるんじゃなかろうかと、彼女の名前を私が使っているいくつかのSNSの検索画面に打ち込んで探してみたけれど、出てくるのは同名の別人のみ。
彼女との糸は今も切れたまま。
でも、もしかしたらいつかどこかで会えるんじゃないだろうか。
そんな一縷の望みを胸に残す。
好きな本の話から始めて、色んな話を一緒にしたい。
私は正直なところ、連絡不精なところがある人間である。
コロナ禍で人と会える機会が減っている今だからこそ、自分の手の中にある人とのつながりの糸をもっと大切にしなければ、と改めて思う。