わたしは仕事が好きだ。
正確に言うと、働いている自分が好きだ。
もっと正直に言えば、働いているわたし格好良い!と思える自分が、好きだ。

そこそこダサい自分が格好いいと、ずっと思っていた

でもだからこそ、わたしの仕事はわたしが好きと思えたり、楽しかったり、誇りに思えたり、充実感を感じたり、前向きな気持ちを持てるものでないと成り立たない。
それが、会社の上層部数人の理不尽に振り回され次々に辞めていった先輩たちの後継で押し付けられた、わたしの元々の職種とは違う仕事であっても。
押し付けたくせに「お前にできるの?」と言ってきた上司の言葉は「やってやる!」のエネルギーに変えて。
「女には無理だろ」と言われたことや、社内に未だ残る男尊女卑、年功序列の制度も風潮も「性別も年齢も関係なく、人として評価させてやる!」のモチベーションにして。
この大きな挑戦を越えたらわたしは成長できる、達成感は何にも変えられない財産になると、自発的な気持ちだと自分に言い聞かせ、自分を奮い立たせて。

そうやってわたしはこの三年間を、社内でも大きな幾つかのプロジェクトに費やし、全力で走り抜けてきた。
大変でも楽しかったし、しんどくても充実していた。
なりふり構わず必死で食らい付いていく姿は、きっとそこそこダサかった。でもどこかで自分のことを、こっそり格好良いとも思っていた。

仕事が嫌いになった。言い訳を並べるわたしはまったく格好良くない

そして今、わたしは仕事が嫌いだ。
仕事が楽しくない。中途半端な気持ちで働いている自分が、嫌いだ。
あの時から変わらない上司の、人を貶す言葉たちも、結果を出しても評価されないもどかしさも、声を上げても変わっていかない理不尽な会社の体制や仕組みも、悔しさやそれによるエネルギーには変わらなくなってしまった。
背伸びをしたまま、長いこと走り続けてきた弊害なのかもしれない。
未だ終わらない、大きくなりすぎたプロジェクトに対する疲れなのかもしれない。
次々と頼りにしていた人たちや、同世代の人々が会社から辞めていくことも手伝っているかもしれない。
ただ単にこの会社の改善しない職場環境に、嫌気が差してしまったからかもしれない。
でも、いくら言い訳を並べたところでこんなの全く、格好良くなくて。

前向きになれない仕事をこなすだけの働き方は性に合わない。もう一度仕事を好きになりたい。
正直なところ、もういっそのこと会社を変えよう、働く環境を変えようと、何度思ったかわからない。

もう一度、自分が好きだと思えるまでは働き続けたい

それでもまだ、わたしはこの会社を辞められないでいる。
一段落はついたものの終わりきらない、大きくなりすぎて上司の手に渡った、自分の全てを注いできたこのプロジェクトから離れられない。
それは愛着であり、執着であり、おそらくまだどこかにわずかに残って燻っているわたしの「やってやる!」なんだと思う。
きっとたとえ会社を変えたところで、たとえ新しい仕事が好きになれたところで、今のわたしの中にある今のプロジェクトに対するやり残したような気持ちは消えてくれない。
これが消化できないと、わたしは次には進めないと、そんな気がしている。

だからわたしはもう一度、今のプロジェクトで自分が好きと思える働きをしたい。
わずかに自分の中に残る、くすぶった火にほだされ、それのためにもう一度自分で火をつけるのだ。

それはプロジェクトの完了や目に見える成果でなくてもいい、ただ自分の納得のいくところまで力を注ぎたいと思っている。
今度は、自分の気持ちを、格好良い自分でありたい気持ちを動力源にして。

わたしが格好良くあるために格好良いと思える仕事がしたい

たぶん、わたしが今向き合っているのは、前向きになれない仕事を、それがどんなに大きくとも、全力の体当たりを要すとも、折り合いをつけてこなしていかないといけないという現実だ。
わたしには、力任せに持っているエネルギーをぶつけて突っ走ってきた経験しかない。社会人になって8年になる今までその現実にさえ気付かずに、得た仕事にも与えられた仕事にも前向きになってやってこられたのは、すごく幸せなことだとも思っている。
でもこれからも働いていく上で、好きな仕事だけしていればいいというわけにはいかない。自分と折り合いをつけて、自分で動力を作り出していかなければならないのだ。

だからこそわたしの次の一歩は、また次の次元で自分の気持ちをエネルギーの主力にすることだ。
格好良い仕事をしているから格好良いのではなく、わたしは格好良くありたいから格好良く仕事をするのだ。
そしてもう一度、胸を張って仕事が好きだと言いたいと思う。