人は、歳を重ねれば重ねるほど、「もっと」が欲しくなる――。
あの頃の私は違っていた。あの頃とは、小学生の頃だ。
2月14日が近付くと、少しソワソワしながら、でも胸がくすぐったくなるような高揚感に浸りながら、どんなお菓子を作ろうか、どうやって好きな男の子に渡そうか、考えていた。
好きな男の子にプレゼントするだけで幸せ。「それ以上」を知らない頃
小学2年生の時、初めてバレンタインデーに好きな男の子にチョコを渡した。しかも、人生で初めて編み物に挑戦した。
空色の毛糸を選び、母親に編み方を教わりながら、一生懸命にマフラーを編んだ。当時の私は、こんなことしたら重いかな、とか1ミリも不安にはならず、ただただ、「○○君、喜んでくれるかな」という想いでいっぱいだった。少々ませた8歳の私は、それだけで満足だったのだ。
小学5年生の時は、好きな男の子にチョコを渡すのが少し恥ずかしくなった。11歳の私は、バレンタインデーの前に好きな男子から文具を借り、その「お返し」として2月14日にチョコを渡した。計画的に、でも不自然ではない方法を考えたつもりだった。
想いを寄せる男の子にお菓子をプレゼントする。それだけで今までに感じたことのない幸福感や達成感を味わえたし、「それ以上」を求めることを知らなかった。付き合うということがどういうことかも知らなかったし、「好きな異性がいる」という事実だけで幸せだった。
自分のためだけにブラウニーを焼く。何となく「あの頃」を思い出した
だけど、今の私は違う。交際が始まっても、相手のドタキャンが続いたり、会う回数が減ってきたりすると、熱がすぐに冷めてしまう。自分が描く「理想の恋人」像から少しはみ出した相手の部分が見えると、げんなりしたり、「もういいや」と投げやりになったりした。相手に対して求めることが多くなり過ぎたのかもしれない。
このままでいいのだろうか――?理想の恋人像に100%合致する男性など、本当はいないのかもしれない。自分の理想と少しはみ出た部分が見えたとしても、それは自分の知らなかった相手の一面が少し見えただけに過ぎない。
元カレと別れて2カ月が経つ今は、そう思う。
28歳の私は、社会人生活が始まって初めて、バレンタインデーにブラウニーを焼いた。渡す相手はおらず、自分のためだけに焼いた。
レシピを調べたり、材料を買い集めたりする自分を客観視すると、まるで自分は世間で言う「リア充」そのものだった。
チョコを刻んで溶かしたり、材料を混ぜたりしている間に、何となく「あの頃」を思い出した。相手に何も見返りを求めていなかった、あの頃を。
オーブンを予熱し、焼き上がりを待っている間は、「美味しくできるかな」という不安と期待が入り混じり、ドキドキした。
ブラウニーの味は普通だったけど、今の自分にはぴったりの程よい甘さ
一口、ぱくりっ――。ブラウニーの味は、普通だった。
カカオ80%以上の甘さを控えたチョコレートを無意識に選んでいたが、今の自分にはぴったりの程よい甘さだ。久しぶりのお菓子作りだったので、内心、「まぁ、こんなものか」と思った。それでも、どこか懐かしさを感じる匂いと、しっとりとした食感に胸が踊った。
数年ぶりに焼いたブラウニーが思い出させてくれた。あの頃みたいに、人を好きになる喜びや、相手に何かしてあげたいという、ただ純粋な気持ちを。
今度、恋に落ちたら、またこのブラウニーの味を思い出そう。そして、自分に言い聞かせよう。
好きな人がいる、もうそれだけで、あなたは十分幸せでしょう?と。