高校2年生の夏、父が自ら命を絶った。
金銭的な理由から、私たち家族は別々に暮らしていた。私は母の実家で暮らしていたため、その訃報は突然の知らせだった。
12歳の時父と都会に住むか、母の実家の田舎で暮らすか選択を迫られた
私は小学6年生の時点で、住む場所を選択することを迫られた。生まれてから12年間暮らした都会に父と住むか、祖母の住む田舎で母と暮らすか。なんとなく新しい環境に身を置きたいと考え、私は田舎暮らしを望んだ。
田舎の同級生たちはあまり勉強に興味がなく、みんな足が速くて、もう平成だというのに習い事といったら習字かそろばんだった。都会からの転校生というだけで珍しがられ、当時少しだけ勉強ができた私は「天才だ」ともてはやされた。
そんな同級生たちを、私は心のどこかで馬鹿にしていた。田舎など来るのではなかった、とひどく後悔した。
そんな思いも束の間、私は数ヶ月でしっかり田舎に順応し、中学・高校と歳を重ねるごとに都会での生活を思い出さなくなった。最初は月に一度は父に会いに行っていたが、部活や友人の誘いを理由に、年に数回しか行かなくなった。私は田舎での青春を謳歌していたのだ。
父の葬式のために、久しぶりに幼少期を過ごした都会を訪れた
ある日、父から電話が来た。私は友人とカラオケの最中だったので適当に返事をし、「また今度ゆっくり話そうね」と通話を切った。それが、父と話した最後だった。
「あの時、私がきちんと話を聞いていれば」「本当は私に助けを求めたかったのかもしれない」「私がもっと会いに行ってあげていれば」。
後悔と自責の念が渦巻く中、父の葬式のために、久しぶりに幼少期を過ごした都会を訪れた。息をする度に胸が苦しくて仕方がなく、葬式が終わるとすぐに田舎へ逃げ帰った。
父との思い出が多すぎる街、父が一生を過ごした街。父はこの街で死んだ。
それも自ら命を絶った。私にとってその事実は、「父に愛されていなかった」という証明のように感じた。その悲しみが転じて、「この街や人がもっと父に優しければ、こんなことにはならなかった」と思うようになった。街全体が私を責めている気がしたし、私もこの街が憎かった。
父の死から10年経った今、私は「父が愛した街」で暮らしている
それからちょうど10年。私は「この街」で暮らしている。春は桜、夏は新緑、秋は銀杏並木が美しく、冬はイルミネーションが名物の街。ほどよく便利で住みやすく、優しい人が多い街。
小学生時代に「天才だ」ともてはやされた私は、高校で落ちぶれた。父の死以降、不登校にこそならなかったが、受けたくない授業は保健室で過ごすようになった。大人たちは私に同情し、それを許した。周囲に甘えた私はどんどん授業についていけなくなってしまった。
大学受験のタイミングでようやく焦りを感じて多少勉強したものの、センター試験で思うような結果が出なかった。女手一つで私を大学まで行かせようとしてくれる母に、「浪人したい」だの「私立大学に行きたい」だの言う勇気はなかった。
結局、私はこの街の公立大学に入学した。不思議な縁だ。全国転勤の会社に入社して転勤したり、転職したりもしたが、なぜかまたこの街に戻ってきた。どうやらこの街は、私を離してはくれないらしい。
そして私はいつしかこの街を、この街で暮らす人を好きになり、私のことを心から愛してくれる人も出来た。恋人もこの街が地元ではないが、学生時代を過ごしたこの街の魅力に取り憑かれ、一度住まいを移したにも関わらず、フリーランスとして働く場所としてまたこの街を選んだ。
この街で出会った私たちは、これから二人暮らしを始める。きっとこれからもこの街で暮らすだろう。
父が一生をかけて愛した街。父の墓に手を合わせながら「お父さん、私もこの街が好きになったよ。ありがとう」と近況を報告した。私のふるさとは、この街である。