実の所、俗に言う「ひとり〇〇」は得意ではなかった。
頑張って精々、ひとりカフェくらいだ。
楽しさや喜びよりも、寂しさが勝ってしまうのだった。
そんなわたしも、ひとりの時の行動範囲を広げようと試みたことがある。
ひとりで何処にでも行けてしまう女性に憧れたのだ。
憧れと同時に、『わたし、ひとりじゃ何処も行けないなんて』と焦りを感じたのも一つの理由だった。
ひとりの時に限って、楽しい時間を共有する幸せそうな人々が目に入る
まずは何か食べに行こうと、インドカレー店での「ひとりランチ」へ。
最初は「いけるじゃん、全然」と少しの興奮を覚えた。
カレーやナンも美味しいし、そんな長居をするような店でもないから気にする事もない。
次は仕事帰りの「ひとり映画」へ。平日の夜に行ってみると、何だ、案外おひとりさまのレディースが沢山いるではないか。
しかし、カレー店でカレーを堪能するわたしの左隣には、冗談を言い合って笑う学生達の楽しそうな姿。
右隣にはニコニコしてカレーを頬張る小さな女の子と、その口を拭いてあげるお父さんの姿。
映画館の出口付近では、「楽しかったね」と顔を見合わせ手を繋ぐカップルの姿が。
ひとりの時は決まって、誰かと楽しい時間を共有している人たちの、幸せそうな姿が目に入るのだ。
途端に、わたしだけ独りぼっちの様な気がして猫背になってしまう。
そのせいで、
「わたしはひとり時間を上手に楽しめていない人なのだ」
そう思っていた。
「好きな事に没頭すること」が、わたしにとってひとり時間の充実
しかしどうやら、「ひとり〇〇」を満喫できる人のみが、ひとり時間が充実しているということではなさそうだと気がついた。
コロナ禍に入ってから行動が制限される中で、わたしも何とかハッピーに生きようと考えた。
気分が落ち込む日には、自分を癒したり励ましたりする何かが必要だ。
砂糖や小麦粉を使わないスイーツを作ってみたり。
長い間弾いていなかったピアノをもう一度始めてみたり。
気の向くままに、気分が上がることをしてみたのだった。
するとどうだろう、時間を忘れてしまう程、それらに夢中になれたのだ。
ネットで見つけたレシピでは飽き足らず、自分でスイーツのレシピを考えてみたり。
超絶技巧と呼ばれるピアノの演奏にチャレンジしてみたりと、どんどん前へ前へ進みたく、極めたくなるのだ。
そうしてようやく、「自分の好きな事に没頭すること」こそが、わたしにとっての、ひとり時間の充実なのだとわかった。
それまで、ひとりの行動範囲を「広げなければ!」と半ば無理をして「ひとり〇〇」に挑戦し、失敗していたわたしは、目的と手段が逆転していた。
「あの料理を食べたいからあの店にひとりで行く」ではなく、「ひとりであの店に行きたいからあの料理を食べる」といった感じになっていたのだ。
お金と時間が許す限り、興味があることだけを自由に、好きなだけ
そのトリックに気がついた後のわたしはイージーだった。
無理をしてどこかへひとりで行く計画も立てなかったし、それが出来ない自分を『自立できていない』などと責めることもしなかった。
お金と時間が許す限り、興味があることだけを、自由に、好きなだけ。そうして自分の機嫌を自分でとっているうちに、わたしの「ひとり時間」は多彩なものになっていた。
自宅で映画を観て、筋トレをし、ピアノを弾いて、料理をする。テニススクールで汗を流した後は、のんびりと湯船に浸かり筆を走らせる、といった具合に。飽きる時間はどこにも見当たらない。
自分だけの時間は、ある意味とても特別で贅沢なものだし、ライフスタイルの変化によりずっとは続かないかもしれない。
だからこそ、ひとりだけで過ごす時には、制限を掛けたり無理強いをすることなく、たっぷりと自分を甘やかしても良いのかもしれない、と思うのだ。