大学生活のほとんどすべてを捧げた人がいた。その人は若手の俳優で、いわゆる「推し」だった。彼の活躍に水を差すわけにはいかないので氏名は控えさせていただくとして、文末がいずれも過去形なのは、今ではもうその人の活躍を追っていないからだ。

昨年2月に「担降り」。彼が心にいなくても、案外やっていけるものだ

日記を振り返ったら、ちょうど大学を卒業する間際、昨年2月に「担降り」したであろう内容を見つけた。彼が心の真ん中にいなくても、案外やっていけるものだなと思った。
フローラルノート、それもジャスミンやリリーなどのホワイトフローラルの香りをぎゅっと集めたような容姿をしていた。それなのに爽やかな役以上に、ユーモラスな役や一癖ある役で力を発揮した。悲壮に暮れる演技が一番上手で、私も大好きだった。
一番の思い出は、写真集発売記念イベントの握手会だ。人間はあれほど情緒がジェットコースターになるのだと思い知った。
握手会の何週間も前から、短い数秒間でどれほど感謝を伝えられるか悩んだ。握手券を複数枚持っていたこともあり、私だけの思い出が欲しいと欲も出た。ちょうど握手会と同じ月に私の誕生日があったので、1回目では感謝と応援の気持ちを伝えて、2回目には「誕生日おめでとう」と言ってもらいたいと計画を立てた。

彼と言葉を交わせる握手会は、緊張と興奮の大波が同時に押し寄せる

結果としては、1回目に誕生日を祝ってほしいと切り出し、2回目にはただ「応援しています」としか言えなかった。事前の計画なんて吹き飛んで、自分が自分じゃないくらいに、とにかくいっぱいいっぱいだった。キャパオーバーの緊張と興奮の大波が同時に押し寄せて、見事に洗い流されてしまった。どんなに意識しても手も声も震えが止まらず、訳もわからず泣けてきてしまって、しまいには軽い吐き気を覚えるほどだった。

緊張と高揚、そのどちらかだけなら今度の人生でも体験するかもしれない。しかしその両方を一斉に味わうとなると、二度とないとも思う。ずっと焦がれていた人間に直接、それも至近距離で言葉を交わす体験には、私の言葉などでは到底太刀打ちできないほどのパワーがあった。
誰もが知る俳優になるまで、彼をずっと応援するのだと心の底から信じていた。ファンクラブにも加入していたし、ドラマや映画、舞台にラジオとその活動の幅を広げるたびに自分のこと以上に誇らしくなったりもした。個人的に彼の出身地に観光に行ったこともあった。

「担降り」から約1年たっても彼は特別で、また握手会を開いてほしい

「担降り」の理由は、彼のプロ意識が私が好きになった頃と比べて少しずつ変化していると認めたからだった。具体的には、彼個人のYouTubeチャンネルでの振る舞いに疑問を抱いたことが決定打だった。そこからは速かった。気持ちの緒が切り離されたような感覚だった。約4年間燃え続けた火があっという間に冷めた。

今思えば、1年前の私が疑問を抱いた動画での言動も、大した意味を持っていなかったのかもしれない。実際に、私の知る限りでは本件はファンの間で特段問題視されていなかった。かつての私が眉をひそめたのは、そのように見える眼鏡をかけていたからかもしれない。

彼を追わなくなってから約1年。まだまだ予断を許さない時勢であるが、もしも彼とまた直接言葉を交わすことがあったら、今の私はどう感じるだろう。あのときのように感情の渦で溺れることはないだろうとは思っている。しかし、当時を思い出してまた泣いてしまうのかもしれない。
情勢が落ち着いた頃合いには、また握手会を開いてくれないかと少しだけ期待もしている。そのために休みを空けて、幾らか支払おうと思うくらいには、彼は私の特別である。「担降り」しようがこればかりは変わらない。