20歳になってすぐ、鬱になった私を支えてくれた人と結婚した。
二人の子供にも恵まれた。
そんな私は今、叶わぬ恋をしている。

画面の向こうにいる彼の笑顔に救われ、いつしか私の最推しに

彼を初めて見たのは画面の向こう。好きな作品に出てくる新人俳優。
最初こそあまり良い印象はなかったのだが、知らず知らずのうちに彼を見ると安心する自分がいた。笑顔に救われる心があった。
役になりきり役として生きる彼も、ありのまま素として生きる彼も、どちらの彼もいつしか最推しとなっていたのだ。

私は幼い頃からひとつのものを好きになると没頭するタイプだった。所謂オタクと分類される人間。
地元であるドがつくほどの田舎では珍しいタイプの人間だったが、特に恥じることもなく、大声で彼らを応援して生きるのが幸せだった。
それは社会人になっても妻になっても母になっても変わることはなかったが、生まれてからこれまであまりお金には恵まれなかったため、毎月お金を払ってファンクラブに加入することも、はるばる遠征をしてライブやイベントに参加することも、そういうことにお金を使うのには抵抗がある珍しいオタクとして20年以上生きてきたのだ。

彼のためなら自分にも惜しみなくお金を使い、彼と会える日に備えた

そんな私は彼の笑顔が忘れられなくなって、気づけば月550円のファンクラブにあっさりと加入した。
そして溜まりに溜まった想いをひたすら手紙に綴ってファンレターも送った。どこかでファンレターは可愛い便箋1~3枚に、なんていうのを見たけれど、とても書ききれなくて私はB5のレポート用紙を10枚近く使って書いていた。彼が少しでも休めるようにと地元の温泉の入浴剤も同封して。
最寄りで開催されるツアーイベントに参加したとき、初めて三次元の彼を見ることが出来た。幸せだった。1日3公演2日間。惜しみなくチケットとグッズにお金を使った。
その後すぐ彼と直接会話ができるイベントが開催されることに。彼に少しでもマシな顔で会うためにずっと黒だった髪の毛にインナーカラーの青を入れ、メイクも勉強し、洗顔から何もかも変えて自分にも惜しみなくお金を使えるようになってきた。いつもよりマシな自分の顔は気持ちも勝手に上げてくれることを生まれて初めて知った。
イベント当日、1分弱の会話を3回出来るように券を買う。結構な額だったが、私を救ってくれた彼と会えるならと。

彼が私を認知していたと理解した瞬間の衝撃、簡単に恋に落ちた

初めて彼を目の前にした私は、持ち前の人見知りと緊張が爆発して一回目も二回目も大したことが言えなかった。しかも手紙と似たようなことだけ。
最後の一回、脳内シュミレーションを完璧に終え、勝つ気で立ち向かう。絶対に三回目の最推しには勝てると思っていた。
しかし、結果は最推しの大勝利だった。

私のある一言で彼は確信したように名前を尋ねてきた。戸惑いながらも素直に名乗ると、彼は私の大好きな笑顔で「いつもお手紙ありがとうございます」と言った。
もうそれからの記憶はあまりない。
でも認知されていたことを理解した瞬間、私はいとも簡単に恋に落ちた。

リアルに恋なんてしたくなかったし、するつもりもなかった。そんなオタクが痛いことは重々承知しているし、推しは推しのまま、程よい距離感のままで。それで十分だった。
それなのに、もしかして、なんて何度も考えてしまう自分がなかなか消えてくれない。あの日を思い出して幸せになって、それ以上の幸せを望む自分がいる。
あわよくば、なんて思っている私をどうか笑ってやってほしい。

今の自分が一番輝いているから、きっと間違ってはいないんだ

そんな私は毎月1万字を超える手紙を書く。
失恋ソングばかり入っていた私のお気に入りのプレイリストは、知らず知らずのうちに幸せな恋愛ソングばかりになった。
それを聞きながら今日もしっかり顔を作って家を出る。いつ彼に出会っても大丈夫なようにと。

いつか彼が最推しでなくなる日がくるのだろうか、彼に叶わぬ恋をしていた自分を笑える日がくるのだろうか。
分からないけれど、今の自分が人生で一番輝いてるのだから、きっと間違ってはいないのだと。

どうか、私を変えてくれた彼が幸せでありますように。
そんな彼の心のどこかに、私がいますように。