何も教わらず、男性の身体と性行為への嫌悪だけがあった
19歳。大人になったら自分も誰かと愛し合い、生活を共にするようになるのだろうか。
私たちは「愛」について、誰からも教えてはもらえない。少なくとも私は、親に恋バナをすることはなかったし、経験豊富な大人なお姉さんも持ち合わせていなかった。
そして学校もまた、愛とは何かについて教えてはくれず、愛とは人類愛だと信じていた私にとって、それが性行為を伴うものだという視点は気味が悪いほど衝撃的なものだった。
とある元首相は言った。
「知らないうちに自然に一通りのことを覚えちゃうんですね」
本当にそうなのだろうか?誰も愛については教えてくれないとして、道端で掴んだ情報で、自分と他人を傷付けずに愛し合うことができるのだろうか?
ましてや私のような人間は、18歳になっても何も学習してはいなかった。
彼氏がいた16歳の頃、どうして彼氏がそんな風に自分の体を欲しがるのか、全く理解できなかった。私は彼のチャーミングなキャラクターや、愛される天性の性質といったところが気に入っていたのだが、そこだけはどうしてもわかり合えなかった。
男性という身体への嫌悪と、性行為への気味悪さ。18歳の私が持っていたのはそれだけ。
考えてみれば、綺麗な水のなかで、純粋に育ててもらったのだ。男装アイドルに影響されようと、坂道グループに憧れようと、色気ある女性を気取ろうと、親も友達も何も言わないでいてくれた。
学校でも家でも、昔から自分を知り、有難いことに好いてくれる人が多いからか、何も言われなかった。だから自分はてっきり、男性を好きになるものだと思い込んでいたのだ。
女性に惹かれる自分に気がつき、「流動的な性」を実感した
春、大学に入学し実家を離れたことで、私は井の中の蛙ではなくなった。そこで自分が女性に惹かれていることに気付いた。
笑顔が素敵で信頼が厚く、けれどどこかで耐え忍んでいるのだろう、不思議に逞しい人だった。
そして同時に、水の色もまた変化した。タイトスカートを履けば、前は彼氏がいたと言えば、「今、気になる男子はいないの?」と聞かれる。
自分は自分の性についてなんて無知で、深く考えてこなかったのだろう、と心底落ち込んだ。
その無知から、私は自分が本当に愛するものが何なのかわからなくなった。本来のアイデンティティが壊れた、といえば、少し感傷的かもしれないけれど。
最初にたどり着いた答えは「アセクシャル」。誰にも性的に惹かれない性的志向のことだ。
自分はセックスが嫌いなんだ。この世の男女カップルって気持ち悪い。お父さんの顔なんて見たくもない。本当にそう思っていた。
そこからジェンダーについて調べたり、映画やドラマを見たり、自分の正体が何なのか探ろうとした。結果今は少し変わって、ノンバイナリーのクエスチョニング、と自認している。
5月に恋をして、もう既にいくつの性的アイデンティティを自分に当てはめたことだろう。1年もない期間で「性は流動的である」ということを身を持って学んだ。
多数派が当たり前と思っていた。教わる機会がきちんとあれば
そして私は動き始めた。いくつかの団体やプロジェクトに所属し、自分事として考えるうちに少しずつ、正体のわからない自分を受け入れられるようになった。
自分の性的アイデンティティについて考える機会が、日本では圧倒的に少ない。だからこそ、自分は多数派であるのが当たり前になって、性的マイノリティのことが他人事に見えるのだ。
私の18年間のように勘違いして、時には生殖可能性を結婚の意味にして、少数派の愛を制限してしまうこともある。逆に、多数派が気持ち悪いと感じて無意味に嫌いになってしまうこともある。
ドイツでは、人を愛する方法として性行為を子どもに教え、避妊や同性愛についても学校で伝えると聞いた。私がその教育を受けていたら、思春期でも父を嫌わなくて済み、自分の志向も決めつけたりしなかったかもしれない。
性的同意や性行為に関する正しい知識も勿論、自分と相手を守ることに繋がる。そして、自分の性的アイデンティティを受け入れられるようになれば、自分の心を救える。教育により大海を知った蛙は、もっと自分らしさを認めて、他の人のあなたらしさも認めて生きる。きっとこの国も今、その変遷の途中にいる。
直近の目標は、そのような教育に携わる人間になることだ。
そして誰かを愛して暮らすのもいいけれど、まずは、自分の志向を愛せる人でいたいと思う。