教室を一歩出れば、バレンタインデーはいつもと大して変わらない一日であることがわかる。でもあそこにいると、それぞれの思惑うずまく乙女心の一大合戦だと思い込んでしまう。普段は緊張してなかなか話せないあの人にも、合法的に想いを告げてもいい日になってしまう。
あれは中学2年生。まだ漫画の中の恋愛と、現実の境目がわからなかった頃のことだ。

私だけふいに下の名前で呼ばれ、うわずる返事。これだけで恋に落ちた

彼のことは、同じクラスになるまで名前も顔も知らなかった。
クラス替えしたばかりの4月下旬。授業の冒頭で先生が先週のプリントを返すのを、彼が手伝っていた。
みんなの苗字を呼んで返す中、私だけふいに下の名前で呼ばれた。男の子から下の名前で呼ばれたことなんてほとんどなかったので、思わずうわずった声で返事をしたことを今でも覚えている。
淡い片想いはしたことはあっても、恋愛経験がほとんどなかった私は、これだけで恋におちた。

今なら世間話をしたり、彼の趣味から話を広げたりできるかもしれない。しかし当時の私には授業中に斜め後ろから、彼の横顔を盗み見ることが精一杯だった。
一度恋に落ちてしまうと、何もかもを意識してしまい、全く話しかけられなかった。今日は顔ににきびがあるから。今はあの子と話してるから。何かしら理由をつけて彼にアプローチすることから逃げていた。隣の席になっても、遠足の班が同じでも。奇跡的に職業体験に二人っきりで行っても。ほとんど喋れなかった。
思い返せば、同じクラスの誰よりもチャンスはあったのに。

好きゲージが溜まったところに少女漫画ブーストもかかり、告白を決意

本人に恋心を表現できない分、私の中の好き好きゲージは溜まっていった。
給食の前のテーブルクロス引きを何も言わずに手伝ってくれた時。珍しく向こうから話しかけてくれた時。
表面では何事もないように振る舞っていても、心の中は舞い上がっていた。そこに少女漫画ブーストがかかってしまったのだ。

私は当時『君に届け』という漫画にどハマりしていた。高校生たちの群像劇で、新刊が出るたび発売日に買い、何度も読み直していた。
そこで、こんな場面がある。主人公の恋が実ったあと、彼らを見守っていた先生が「恋愛はなァ最初に告白する奴だけが本命と戦えんだよ」「2番目3番目以降の奴は戦う資格すらない」と言うのだ。
そのセリフにビビっときてしまった。まともに会話することもできない私が、彼とどうこうなれるとは、はなから思ってなかった。
それでも彼にもし本命がいて、その子と戦うなら、誰よりも早く言わなきゃ。季節は2月。クラス替えで4月からは同じ教室にいられないかもしれない。
そう思った私はバレンタインにこじつけて、彼に告白することにした。

告白しないままでは終われない、自分でも思いも寄らない行動に出た

友人に頼み、彼に朝早く来るようメールしてもらった。バレンタイン当日、まだほとんど生徒のいない下駄箱で彼と会った。
でもここで言ったら、登校途中の誰かと鉢合わせるかもしれない。
怖気付いた私は、おはようも言わずに教室に向かった。すると彼は数分遅れで、別のクラスメイトと一緒に教室にやってきた。
しまった!これでもう彼と二人っきりになれない!
絶好の機会を逃し、意気消沈したまま、朝のホームルームが始まった。彼と私は教室の一番後ろの席で、しかも隣どうしだったので、ホームルーム中に無言でチョコレートだけを渡した。

その日は結局何も言えなかったが、このままでは終われない。沸々とそんな気持ちが湧き上がってきた。
何としても想いを伝えなくちゃ!すっかり少女漫画の登場人物気取りになっていた私は、次の日の放課後、自分でも思いも寄らない行動に出てしまった。下校のホームルームが終わり、部活やら掃除やらに向かう生徒たちで賑わう廊下で、彼のことを呼び止めたのだ。
突然袖を掴んだ勢いで、彼が肩にかけていたカバンが落ちてしまったのも構わず、「好きです」と告げた。そして「好きな人がいるから、ごめんね」とあっさりフラれてしまった。
ほんの1、2分で私の初恋が終わった。

告白にいっぱいいっぱいで、周りのギャラリーがまったく目に入ってなかったのだが、どうやら大勢に見られていたらしく、後日友人から、私と彼が噂になってることを聞いた。フラれたことはもちろん悲しいが、それよりも彼に、クラスメイトたちから「あいつとはどうなんだよ〜」と雑なイジられ方をさせてしまったことが心苦しかった。
3年生からは別々のクラスになり、告白以降、一言も交わさず卒業した。

彼にフラれ、自分磨き開始。そして6年後、同窓会で彼に再会した

彼にフラれてからというもの、私は可愛くなろうキャンペーンを始めた。彼を見返したいというのも多少あったが、それよりも可愛くなって自信がついたら、自分から気になる相手にアプローチできるようになれると思ったのだ。

メガネからコンタクトに変え、メイクやファッションに気を遣うようになった。次第に自分磨き自体が楽しくなり、6年が経ち、成人式の同窓会で彼と再会した。
同窓会自体ではほとんど話せなかったが、少人数の二次会で一緒になり、告白以来に彼と話した。大学では何を勉強しているか。バイトは何をしているのか。あの頃一番難しかった、他愛もない話をした。
門限があったのですぐに二次会を抜けたが、後日その場にいた友人から、彼が私のことを「可愛くなってた」「惜しいことしたな」と言っていたと聞いた。

その後、彼と何か進展があったわけではなかったが、グッジョブ私!と思った。
それこそ少女漫画のような展開ではないか。恋愛は勝ち負けではないけど、昔好きだった人に「可愛くなってた」と思わせたら大勝利だろう。万々歳だ。
彼にフラれたおかげで、私は可愛くなれたし、自信もついて気になる人にアプローチできるようになった。
もう少女漫画気取りからは卒業したが、あの漫画の中の先生は、私の人生まで変えてくれたのかもしれない。